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爆発・炎上するコンビナート

2011年03月25日 14時23分56秒 | 東日本大震災
(4)燃えるコンビナート

当地で停電が復旧したのは21日で、のべ11日間、停電が続いていましたが、震災直後は「明るい夜」が続きました。
というのも当地は仙台港臨海工業地帯の一角にありますが、そこで大規模な火災が発生していたためです。
ただし同時期に福島原発事故があったため、報道されることはほとんどありませんでした。
石油化学コンビナートが爆発、炎上し、爆発のたびに衝撃波で窓ガラスがピシピシ震えていました。本来ならば、かなりの恐怖を感じなければならない大惨事でしょうが、巨大地震・大津波と現実離れした事態に次々と襲われると、もはや何事も現実感が麻痺してしまうのか、「映画みたいだな~」などと燃え上がるタンクを眺めていました。
「日本沈没」という映画がありましたが、大地震以降のあらゆる出来事があの映画の中に入ったような感じでした。
消防等は被災者救出が第一だったようで、消火まで手が回らないようでした。実際に消火しようとしても、もう成す術がなかったのかもしれません。燃料が全て燃え尽きたのか、コンビナート火災は14日頃に鎮火しました。

ところで今回の災害では、いくつも「塞翁が馬」を経験しました。先に書いた「雪が降ってきて寒くなったから、部屋に入って津波を間逃れた」のもそのひとつですが、石油化学コンビナートもそのひとつかもしれません。
事情を知らない方は「そんな危険な施設が近くにあって災難でしたね」というかもしれません。しかし、あるいは石油化学コンビナートがあったおかげで助かったのかもしれないと思います。というのは――。

仙台市若林区の荒浜では、200体から300体の溺死体が発見されたそうです。同じく名取市(仙台市の南)の閖上(ゆりあげ)でも100体が見つかったそうです。宮城県の方なら知っていますが、これらは有名な海水浴場です。美しい砂浜が海岸線に広がっています。すなわち、津波の侵入を妨げる物がほとんどなかった(今回の津波の高さは防波堤をはるかに超えています)。仙台市の調査では、荒浜では海岸から10キロ以上奥の土地まで津波が達していた形跡が残っていたそうです。
これに対して、当地は海岸線に多数の工場が建てられていた。津波は、これらの建造物を破壊するために大量のエネルギーを消費したため、内陸まで達しなかったと見られるように感じます。
専門家ではないので科学的データはありませんが、各種の報道を見聞した実感です。

だったら湘南海岸あたりの海水浴場にも工場でも建てとけば安心かと思いますが、さすがにそれは現実的ではないでしょうね。まあ10階建てくらいのマンションを林立させとけば、いざという時に防波堤の役目をしてくれそうな気がします。これは被災地からの提案です。


(5)臨場感の演出はいらない

「報道フロアから最新のニュースです」というのが一般化したのは、いつごろからでしょうか。
フジがお台場、日テレが汐留などに移転したころからかな?
スタジオではなく、報道フロアから放送するのは、緊急ニュースが入った時にスタジオよりも早く伝えられる利点がある――と、マスコミは説明するでしょう。確かに、その通りでしょうね。
しかし、報道フロアのノイズ、例えばアナウンサー以外の人の声や、電話などの音――あれは「臨場感の演出」でしょう。現在のマイクの性能ならば、アナウンサーの声だけを拾って、他の音声は全てカットすることが可能です。
わざと入れてるんですね、あれは。

震災後、ずっとラジオを聴いていましたが、恐怖の連続でした。
地震を知らせるアラーム音が、ひっきりなしに聞こえてくるからです。あれが聴こえるたびに、「また余震が来る」と、命が縮まる気分でした。さらに震災後は長野県北部+中越地方や、静岡県東部でも大きな地震が発生しました。それが宮城県とは関係なかったからか、緊急地震速報のチャイムが聴こえても、その後にアナウンスされないこともありました。これは余計に恐怖でした。
ともかく、ああいう演出は全く不要です。マスコミはきちんと改善してほしいと思います。


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