シニアのウエさんの旅日記

神社を軸に全国各地を歩いてます。

お寺巡りー154.題経寺(柴又帝釈天・東京)

2014-02-13 08:41:29 | 旅行
 2014年1月7日、柴又の帝釈天に初詣に行く、京成の柴又駅を降りると寅さんが立っている。お囃子が聞こえたと思ったらお獅子が戻ってきてお出迎え。バス通りを越えて参道を歩くと懐かしいお店が並ぶ。参道を進むと帝釈天の門が見えてきた、二天門と呼ばれ彫り物も立派。境内に入ると正面にあるのが帝釈堂、扁額は「喜見城」で帝釈天の居城を意味する。お堂に登ると彫刻ギャラリーの看板があり、その先は有料、拝観料を払って入る。帝釈堂の外壁を埋め尽くす彫刻は見事、法華経説話の場面が彫られている。総欅造りの帝釈堂は昭和4年に完成、外壁の木彫は当時の名人によって彫られた。1階下に降りると龍がお堂を支えていた。帝釈堂の後ろに庭園がある、中央に池がある回遊式庭園になっている。広いお庭の外周に回廊が出来ていて、回廊を歩くとお庭が一周できる、ただお庭には降りられない。帝釈堂の拝観後、江戸川の土手まで歩いた。




















お寺巡りー153.増上寺(東京)

2014-02-12 08:25:40 | 旅行
 2013年12月13日、泉岳寺駅から大門駅まで地下鉄に乗って増上寺へ、大門を抜けると正面に東京タワーが見える。三門は元和8年(1622年)再建で重要文化財。三門から入ると巨樹が聳えている、名称はグラント松だがヒマラヤ杉、明治12年グラント将軍が植樹。離れた所にブッシュ槇もあったが、こちらはまだ小さい。境内には色々と建っている、聖観世音菩薩はホテルニュージャパンの罹災者の供養の為、聖鋏観音は国際美容協会会長・山野愛子が願主、魚供養の碑も。増上寺は徳川将軍家の菩提寺で浄土宗大本山、本堂は大きい。本堂の回廊から下りて奥に行くと徳川家霊廟がある、その前には四菩薩像があり、霊廟は葵の御紋の鋳抜門で閉ざされていた。徳川家霊廟から戻る道に沢山のお地蔵さんが並んでいる、千躰子育地蔵で西向観音の管轄らしい。増上寺の境内には12月13日と言うのに、紅葉がまだ多く残っていた。




















お寺巡りー152.泉岳寺(東京)

2014-02-11 08:35:26 | 旅行
 2013年12月13日、討ち入り(義士祭)の前日に泉岳寺へ行った。地下鉄泉岳寺駅を出ると近い、中門から入ると土産物屋があって陣太鼓がぶら下がっていた。大石内蔵助の銅像が立っていたが、浪曲の宗家・桃中軒雲右衛門の発願により鋳造されたもの。山門から入ると境内には義士祭の幟が沢山立っている、山門の傍には見事な松。泉岳寺は曹洞宗(禅宗)、扁額の獅子吼は勇ましい。四十七士の墓地は本堂の左側、行く途中には血染の石や首洗井戸があって血腥い。四十七士の墓地では墓石が並んでいるが、屋根付きは大石内蔵助と大石主税だけ、どの墓も線香が絶えない。お墓を見て歩いていたら、黄色い帽子を被った小学生が列を作ってやって来た。境内に戻ると、あちこちで子供達が四十七士の物語りをやっている、中門脇に看板があったから、地元の高輪高等学校と高輪中学校の生徒達らしい、地元も子供のうちから協賛してるんだ。




















お寺巡りー151.東海禅寺(東京)

2014-02-10 09:00:12 | 旅行
 2010年11月9日、品川神社に行って周辺を散歩していたら、浮世絵の看板の近くに東海禅寺の石標が目についた。東海寺は、寛永15年(1638)徳川家光が沢庵宗彭を招聘して開山した大寺だったが、明治維新で一時は廃寺となった、しかし、かつての塔頭玄性院が旧跡を引き継いでいる。細い参道を通って山門から入ると、元禄5年(1693年)造の梵鐘を下げた鐘楼があり、東海寺古学殿の世尊殿が残っている。案内板によると東海寺大山墓地には沢庵禅師の墓があると言う、今は幹線道路で分断されたため、随分遠回りになったが行ってみると、大きな石の置かれた墓だった。




















お寺巡りー150.真源寺(入谷鬼子母神・東京)

2014-02-09 10:25:26 | 旅行
 2010年7月6日、入谷朝顔まつりを見に行った。鶯谷駅で降りて広い通りを歩いて行くと、歩道には朝顔の露店が長々と続く、朝の8時に着いたが、朝顔市だけに人の出も早い。朝顔のお店は通称・入谷の鬼子母神と呼ばれる真源寺の境内を中心に門前の歩道に広がっている。真源寺は法華宗のお寺で日蓮聖人の尊像とともにインドの女神・鬼子母神が祀られている。また境内の一角には福禄寿が祀られ、下谷七福神の一つになっている。