草むしりしながら

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草むしり作「わらじ猫」後7

2020-04-22 17:06:57 | 草むしり作「わらじ猫」
草むしり作「わらじ猫」後7 


大奥のお局さま 似たような話

―どいつもこいつも、食わせ過ぎなんだ。
 鈴乃屋は喉まで出かかった言葉を飲み込んで、にっこり笑った。

「うん、食べすぎと運動不足でございます。朝と夕方はしっかり運動させ、餌は『犬煎餅』に切り替えましょう。食べさせ方は弟子が説明したしますので」
 
鈴乃屋はもったいぶって油紙の包みを差し出して、後ろに控えている太助に目配せをした。

「この犬煎餅は、手前どもが犬の餌にと考案したものでございます。鮪の腹の部分の切り身に、米ぬか・・・・・・」
鈴乃屋は餌のやり方の説明を太助にまかせると、次の順番を待っていた女中に声をかけた。

 今度は猫のようだ、しかしまあこの猫もずいぶんと太りすぎている。鼻の頭の傷は鼠に齧られたというが、かれこれ一年は経つのに、未だに治りきらなくて、傷口はジュクジュクしたままだ。またしても秘伝の軟膏を猫の鼻に塗ってやり、今度もまた食べさせすぎぬように女中に注意を与えて、太助には「猫あられ」の説明をさせた。

「おやこれは滋養が足りないンじゃございませんか」
 どれもこれもでっぷりと太った犬や猫ばかり診ていたので、最後にやってきた犬を見て太助が思わず呟いた。
「これこれ、一心堂。差しでた口を利くものではない。これが普通で他が太りすぎているだけの話だ」
「そう言われれば、そうでございました」
抱いていた女中が思わずクスッと笑った。女中も犬に負けず小柄で華奢だった。

「しかしお玉殿は、犬をお世話するのが実にお上手ですな」
犬の目やら口やら、毛並みを一通り診た鈴乃屋は女中に声をかけた。
「私は子どもの頃に子犬を拾いまして、それを可愛がって育てておりました。ところがその犬がたいそう利口者でございまして、奉公にあがるのもいつも犬と一緒でございました。奉公先のほうもほんとうは犬だけが欲しかったのですが、犬が私の言うことしか聞かないものですから、しょうがなくわたくしも雇い入れてくれました。
ある時その犬が、奉公先に押し入ろうとした盗賊に噛み付いたことがございました。おかげでその盗賊を捕まえることが出来たのでございます。ところがそれがたいそう評判になり、犬はついにお城のお庭番に上がることになりました。そのついでに私も大奥にご奉公にあがることが出来たのでございます。」

ほう、世の中には犬と猫の違いはあっても、似たような話しもあるもですなぁ」
鈴乃屋は思わず呟いた。

「おさじ殿、似たような話とはいったいどんな話でございますか」
「いや、なに。たいした話ではございません。のう一心堂」
「はー、しかし名前までタマにお玉殿とは………」
「本当になんでございますか。おさじ殿、もったいぶらずに、教えてくださいませ」
話をはぐらかそうとしたが太助が妙なことを言うので、女中はますます話に興味を持ったようだ。

「ご無礼いたします」
そこにやって来たのは、秋月の局さま付の侍女だった。侍女は回診が終わり次第、中年寄りの蔦山様の下に来るように伝えた。
「承知いたしました」 
 鈴乃屋は何気なく答えたのだが、目の前にいる侍女がなんとなく華やいでいるような気がした。そういえばこの侍女だけではなく、大奥自体がいつもよりも華やいで見える。

「何か良いことございましたのでしょうか。皆様一段と華やいでおりますな」
まだ話の続きを聞きたそうにしているお玉に声をかけた。
「そうでございますね。観月の宴が近こうございますから」
お玉はおもしろくなさそうに答えた。
「鈴虫の鳴き声を聞くのがそんなに楽しみでございましょうか」
「鈴虫の鳴き声も楽しみでございますが、その鳴き声を聞きに上様もいらっしゃいますので・・・・・・。もっとも私のような下々の者には、なんら関わりの無いことでございますが」

 お玉の話によれば、観月の宴の席で上様の側室選びが行われというのだ。その日はお目見え以上の者だけではなく、京の都のお公家様の姫君までもが呼ばれているという。おかげで割を食っているのが身分の低いお端下たちだった。
 
 ご膳所のお仲居は、やたらと食事に注文をつけられる。肌の色が白くなるような献立にしてくれと言うのだ。そんな事を言われても何がいいのか分からないので、とにかく白い物を出せばよかろうということになった。おかげでこのところ大根や豆腐料理ばかりが続いている。本当にこんなもので色白になるのかと思うのだが、食べている本人たちはいたって満足しているようだ。

 呉服の間でも似たようなもので、宴のためのお召し物の仕立てに追われている。中でも気の毒なのは湯殿のお端下だそうだ。側室候補の侍女たちが肌に磨きをかけているのだろう。朝早くから夜遅くまで湯を沸かし続けてさせられているのだった。

 「今に湯殿の煙突が煤で詰まってしまいますわ。それに比べたら私などは犬のお世話をしていればいいので、気が楽でございます」
少しふてくされているのだろうか。お玉の顔には、いつもの笑顔がなかった。
「まあ、まあ、お玉殿。お玉殿は希に見る強運の持ち主とお見受けいたします。お犬の世話を一生懸命なさいまし、さすればますます運が開けましょう。ただし運が開ける鍵は笑顔でございます。くれぐれも笑顔をお忘れになりませんように」
お玉の顔に笑顔が戻った。

 やっと機嫌の直ったお玉に暇を告げて、鈴乃屋は太助を伴って観月の宴の打ち合わせに大奥の中庭へと向った。