江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

【281】 昭和56年/名古屋テレビ・金曜奥様ワイド

2006年05月04日 | 続・江利チエミ(初期記事・後編)

夏の朝... 板東英二司会のこの番組に江利チエミさんが出演した回、このビデオを大切に保管されていた方に今回ビデオをお借りしました。(感謝!です。)

名古屋・鶴舞公演の地下にあった「サージャン・クラブ」、小牧の「飛行場」で歌ったことがある話・・・などを語っています。
それから、「ジャンケン娘」の台本を見たとき、3人がみんな同じような二枚目で、つまらない・・・自分から申し出て「三人娘」で「三枚目」に書いてもらったのよ・・・といったイピソードも語っています。
※最後まで出演を渋ったチエミさんに「はじめから三枚目」を提示してない...のですね。しかし、やはり芸人の娘、苦労人のチエミさんは「どうしたらお客さんが喜んでくれるのか」というのをまず先に考えて行動に移していたのだ・・・ということが、このコメントからも偲ばれます。

お酒の話・・・になって、
>大好きです!私から、お酒を外してしまったら半分人生死んでしまったようなもんですね・・・ と発言しています。
ボトル半分くらいのまないと飲んだ気がしない・・・ ということも話されていました。
ウィスキーは「ミルク割り」ということをよく言われますが、このころは「水割り」でも飲むようになっていた・・・とか。
これは番組の途中、友人でいらした長崎・興福寺の住職さんとの電話でのやりとりでわかったことです。(テネシーワルツが聴こえる...にも登場する方です。)
無茶な飲み方は「もうしていなたっかのだな!」と、このビデオをみて思いました。
それにボトル半分・・・は、江利チエミさんの最盛期のきっと半分くらいでは?
私も今、心臓やられてしまいましたが、最盛期は「ボトル1本」空けないと飲んだ気がしなかったですから。
もう、マスコミが取りざたすように「無茶な飲み方」はしていないんだな... ということをこのビデオを観て確認ができた気がします。

ちょうど、この年の秋に封切りされる映画「教育は死なず」の宣伝もされていました。
この映画のことは ココ に書き込んでいます。

そしてゲスト・コーナーの締めに「恋の手ざわり」を歌いました。
   ♪・・・飲むのはおよし...と、云われたい
                これは恋の手ざわりのサビです。
このころはとっても楽しいお酒をお友達や(恋人と)飲まれていたようですが、やはり「お酒」がチエミさんの命を縮めてしまったのも事実だったのです。
いづみさん、清川さんも自伝で「お酒がチーちゃんの・・・」と書いています。

が、しかし!!・・・ 
楽しいお酒を晩年飲んでいた!...っていうのは私にはかえって「救い」のように感じます。これは「同じ呑んベー」じゃないとわからない感覚?で、飲まない方から見たら「なんてけしからん!」と云われるかもしれませんが... 私にはそう思えるのです。



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