江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ 視聴後記

2022年08月26日 | 江利チエミ(続編)

まずは流された音源は「10周年記念アルバム」のもの...デビュー当時のものではない。=テネシー・家へおいでよ
 昭和37年です。

昭和46年、ロスで云々のときの写真と紹介されたものも時系列が誤りです。
「30周年、サンフランシスコ/ロス公演」のときのもの昭和55年です。
 GS調真室川音頭を歌うのは昭和42年:第一回植木等ショー...
ほかにもあるのですが... 旅立つ朝の録音のことだけ触れておきます。

 

◆名唱「旅立つ朝」https://www.youtube.com/watch?v=fOpWpnoYRx4

江利チエミ・メジャーデビュー20周年記念、ロサンゼルス録音「旅立つ朝(あした)」...

このときの「様子」をチエミさんは確かラジオで昭和51年ころに語っていました。
内容は以下のようなものでした。

>レコーディングの時は、ドラムとギターだけで、あとから演奏をかぶせて行った。

>チエミさんがレコーディングしたスタジオのスタジオミュージシャンはみんな楽譜が読めず、日本から一緒に行った作曲家がピアノで主旋律を弾くと、それぞれに自分だけに分かる符丁(アルファベットとか数字とか・・・ 江利チエミさんも初期に蓄音機から音を聴いて、+ や -といった符号をつけて覚えていたようですから、コレ...共通点ですね。)でメロディやコードをメモしていった。

>その後いきなりセッションになって、皆がそれぞれに、その曲にふさわしいと思うインプロビゼーション(即興で弾くこと/「アドリブ」とは適当に弾くことでちょと違う)でフレーズを弾き始めて、ディレクターとの共同作業でテイクを重ねていくことでバッキング(伴奏/カラオケ部分)が出来上がっていった。        ・・・こういった内容だったと...

不思議な録り方するな---って思ったワ!・・・と、チェリッシュさん司会のラジオ番組で語っていたことがありました。
 

旅立つ朝 江利チエミ - YouTube

EP「旅立つ朝/明日に生きる女」は、20周年記念曲...といった意味合いもあったロスでの録音のものです。
プロデューサー:Art Whiting.JR.(米キャピトル契約のプロデユーサー)
ヴォーカルトレイナー:あの Carl Johnes(当時はフィフス・ディメンションのアレンジャーをされてい
たとあります。)
編曲者:Jimmie Haskell
ドラム:Hal Blaine
伴奏:ロス・アンゼルス・ポップス

旅立つ朝(あした)は、夜のヒットスタジオ...等の音楽番組にも精力的に出演しましたし、そこそこのヒットもしたためにチエミファン以外にもご存知の方が多いと思います。

 ♪この世にはピンク色のお休みの日があるものさ---
   そよ風が心に吹く 素敵な朝がきっとくる----

しかし...B面もなかなか良い!のです。
B面の「明日に・・・」の歌詞が凄いのです。
そこで、(ご存知の方には僭越ですが)歌詞をご紹介させていただきます。

 朝の汽車降りたのよ ただひとり 私
 小さいけど この町で 暮らしたいの
 荷物ならカバンだけ 中身などないわ
 過去を捨てた 私ならば 何もないの

 一から始めてみたいの やり直したいのよ
 小さな町で 私は生きるのよ

 この胸にまだ残る あの人の影も
 時がたてば いつか きっと消えてゆくわ

 いつか誰かを愛して ふたりは結ばれ
 私はここで 初めて生まれるの

 ありふれた しあわせな 人生がほしい
 過ぎた夢は いつか 時が消してゆくわ

昭和42年声帯を壊し、45年火災で自宅を全焼...
そして46年は長兄の死、そして離婚、義姉の事件の発覚... 壮絶な運命が待ち受けていた... その直前の録音です。
 


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