山本周五郎の作品「ちいさこべ」
昭和37年東映で映画化されました。
この作品に萬屋錦之介(中村錦之助)さんと競演したチエミさんは「京都市民映画賞の助演女優賞」を手にします。
江戸の大火で、身寄りを失い「酌婦」にまで身を落としたことのある娘、健気な彼女は見てみぬふりができず孤児達の面倒を見る...最後は幼馴染の大工の棟梁と結ばれ「子供達の家」を作る...
江利チエミのあたり役の1つです。
旧知の演 . . . 本文を読む
本邦初演、舞台マイフェアレディの配役です...
イライザ・ドゥーリットル:江利チエミ
ヒギンズ教授:高島忠夫
ビカリング大佐:益田喜頓
ヒギンズ夫人(ヒギンズの母):京塚昌子
アルフレッド・P・ドゥーリットル(イライザの父):八波むと志
フレディー・アンスフォード・ヒル:藤木孝
ゾルダン・カルバシー:山茶花究
ビアス夫人:浦島千歌子
ヒル婦人(フレディーの母):深緑夏代
トランシルバニア女王:打 . . . 本文を読む
ブロードウエィミュージカル本邦初演「マイ・フェア・レディ」と江利チエミさんの話は、先に10)イライザ・ドゥーリットルの章で掲示しましたが、ここでまた補足を... マイ・フェア・レディの原作は、イギリスの作家で機知に富んだジョージ・バーナード・ショウが1916年に発表した戯曲「ピグマリオン」です。この物語...オウィディアスの「転身物語」が話の元になっています。キプロスの王「ピグマリオン」は、白い象 . . . 本文を読む
チエミさんの音楽にとってなくてはならないアレンジャーさんといえば、
東京キューバンボーイズのメンバーであった内藤法美さん。そして原信夫とシャープス&フラッツの山屋清さん。...そして筒井広志さんが挙げられます。
内藤さん、山屋さんはまさに絶頂期に上り詰める時期のチエミさんのアレンジをされた先生です。
そして...わたしにとって「チエミさんらしい」と感じる編曲を手がけたのが、40年代半ばからチエミさ . . . 本文を読む
昭和27年テネシーワルツのヒット...
これは日本のレコード界に衝撃を与えました。
英語とニッポン語のチャンポンを14歳(発売時は15歳)の少女が歌ったという衝撃と、
ワルツが日本で大ヒットをした...ということで。
確かにそれまで「ワルツは日本ではレコードセールスに繋がらない」というジンクスがあったからです。
勿論、高木東六先生の作曲、二葉あき子さんの名唱「水色のワルツ」などもありましたが... . . . 本文を読む
昭和42年7月のリリース...この後チエミさんは咽を壊してしまいます。
すでにこの時「低音に異変」が起っており、それまでの録音より「咽の荒れ」は確かに見られますが、この曲が「ポリープ手術前」の、結果として最後の録音となりました。
手術後、いくぶん細く、また低音が出にくくなった分キィをあげファルセットも屈指した歌唱でコンサートや実演、テレビ、そしてレコード録音に臨みます。
「ご存知!チエミ節2枚 . . . 本文を読む
チエミさんの死後、お母さん違いの弟さん「益巳健さん」がデビューしました。
3~4曲シングルをリリースされましたが...たぶん当時のアイドル路線としては「歌が巧すぎたのだ」と思います。お姉さんとはちがって美声でもありました。引退され、今はエンターティメントに携わるお仕事をされているとか...
大きさは違うものの、目の感じ...がやっぱり似てますよね。
確か私に2歳下でらしたので...今年43歳 . . . 本文を読む
53)イブニングコンサートでは、江利チエミ=カントリー&ウエスタン というイメージがない...という個人的な思いを書き込みました。
恋のキッスは?...は、昭和33年5月のリリース。
全編ニッポン語で歌われているため、作詞・作曲者のクレジットをみないと...オリジナルか??と勘違いしてしまいます。
♪だけど 有楽町で逢うときだけは遅れて来てはさあ大変... ですからね。
雪村いづみさんの ビー . . . 本文を読む
美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみ「世紀の競演」は、雑誌「平凡」、映画だけではありませんでした。
3人が「思いっきり歌いまくる」...そんなラジオ番組が企画されます。
唄う三人娘...提供は森永製菓でそのラジオ番組は3人の殺人的なスケジュールをぬって昭和30年に放送されました。
最初の1ケ月はスタジオワーク。2ケ月目からは、東京・大阪・北海道の3地区での公開録音。
歌謡曲のひばり・ジャズのチエミ . . . 本文を読む
デビュー直後の昭和27年11月、ラジオ番組「イブニングコンサート」の火曜日レギュラー、「カントリー・ジャンボリー」のメイン歌手になります。
伴奏バンドは「チャック・ワゴン・ボーイズ」...このメンバーが凄いのです。
井原高志(b.後の「光子の窓」「11pm」のプロデューサー)
堀 威夫(g.堀プロダクション社長)
曽我部博士(g.放送作家)
バンドシンガーには「黒田美治」、この楽器運搬係り . . . 本文を読む
運命の日昭和57年2月13日が過ぎた3月...最後のレコーディング曲「満ち潮/目のなかの海」が発売されました。これはフジテレビの13:00~の昼ドラ「俺は亭主だ」の主題歌でもありました。(主演:前田吟さん)
ドラマの番組宣伝の新聞にも「主題歌/江利チエミ 最後の録音 満ち潮」と書かれていた記憶があります。なんともいえない気持でレコードを買った...多くのファンの皆さんが同じ思いでレコード売り場に足 . . . 本文を読む
昭和52年1月リリースのEPです。
B面には49年発売「チエミ・オリジナル」のなかで発表した曲「緑の谷」が選曲されました。
作曲は、フランシスコ・ゴアなる人物。
これはインスツルメンタルのバージョンが後年リリースされ(53年頃だったかと?)有線放送などで耳にした記憶があります。(時効ですよね!大学に入ってからは堂々と酒場で飲んでいました。18歳のあの時に聴いた記憶です。)
この曲はチエミさんは確か . . . 本文を読む
♪歩こうよ 歩こうよ この道を歩くのさ... 昭和48年7月のリリース。ドラマ「黄色いトマト」の主題歌「愛はひそかに」のB面としてリリースされた曲「歩こうよ」です。愛はひそかに...はとってもいい曲でしたけど...当時はドラマ主題歌は今みたいにどこの曲でもオッケーという時代じゃなかったこと。翌年1月シングルリリースしたのが「黒髪/デカンショ節」という「地唄/民謡」ということもあってか、「酒場にて . . . 本文を読む
♪共に踊るは夢見るメロディ 悲しや チェンジ・パートナーズ 君去り行けばむなしく君の面影抱き 続けるチェンジ・パートナーズ またあうまで...これ...ダンスを知らない人には誤解される歌詞だということにふっと気がつきました。ダンスパーティなどでいろいろな人と交流する...っていう目的のために「チェンジ・パートナーズ」と声がかかるとダンスのパートナーをお隣の人に替えるという「慣わし」があるのです。( . . . 本文を読む
1964年10月発売のEPです。
江利チエミにしては珍しい...というか「この1曲だけ」ではないでしょうか?
自己陶酔的歌唱を残しています。
♪どうしてだか わたしのとこにいない 母さん...
亡き母「谷崎歳子さん」と「江利チエミさん」のことをあきらかに歌っている曲です。
公私混同的なことの嫌いなチエミさんだったと思います。
ゆえに..珍しい楽曲です。
同じタイプの曲を例えれば...美空ひばり . . . 本文を読む