江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

【54】 デルタ・リズム・ボーイズ

2005年09月28日 | 続・江利チエミ(初期記事・後編)

デルタ・リズム・ボーイズとは... (改めて掲示します。)

>デルタ・リズム・ボーイズのメンバーは、リード・テナーがカール・ジョーンズ、セカンド・テナーがトラヴァース・クロフォード、バリトンがケルシイ・ファー、ベースがリー・ゲインズ、ピアノと編曲がルネ・ディナイト、それに新加入のソリスト、ハーヴ・コールマンという顔ぶれです。

 デルタとは、ギリシャ語の三角形の文字で、ルイジアナ州のミシシッピー河の河口にある街ニュー・オーリンズを意味します。

 このニュー・オーリンズのディラード大学の学生であったクロフォードとゲインズのふたりが二重唱としてスタートしたのが、今日のデルタの始まりで、大学の音楽教師フレッド・ホールの指揮と後援で四重唱団を結成、ニュー・オーリンズ・クィンテットと名乗りました。もうこの時には、ほとんど現在のメンバーであるディナイトやジョーンズも参加しておりました。

 しかし、名称がニュー・オーリンズ五重奏団では、あまりパットしないというので、間もなくデルタ・リズム・ボーイズと改称したものです。1939年には、有名なタップ・ダンサーのビル・ロビンスのショウ「ホット・ミカド」に出演、以来、数かずのショウに出演いたしました。

 レコード吹き込みも成功し、多くの一流ジャズメンと共演のレコードを作り、いずれも評判をとりました。そのなかでもドライ・ボーンズは、このグループの名声を世界的なものにした曲であります。

 デルタ・リズム・ボーイでは、このようにアメリカ・ジャズ界におけるヴォーカル・チームの草分けのひとつで、クロフォードとゲインズのコンビで26年、ディナイトが参加して25年、ジョーンズ、ファーが参加して20年、という永い年月を経過しています。したがってグループの調和は完璧で、いついかなるステージでも一糸みだれぬみごとなアンサンブルを聴かせてくれます。

 このデルタには、特定のスターがおりません。映画「ヨーロッパの夜」でおなじみのプラターズという人気ヴォーカル・チームには、トニー・ウィリアムスというテナーにソロを取らせて、他のメンバーはその伴唱をするという方式を取ってヒットしています。デルタは、しいていえば全員がスターで、全員が等分にソロをとります。

 ジョーンズはコメディふうなもの、ラテン・ナンバー、クロフォードはブルースやジャズ・ナンバー、ファーはヨーロッパのポピュラー、ゲインズは彼の低音を活かしたアレンジとミュージカル・ディレクターのディナイトの功績も高く買われています。

 彼らのレパートリーの広さも、このグループの人気の原因となっています。ジャズ、ブルース、スピリチュアルスのごとく独自の作品を持つ反面、ミュージカルの曲、ポピュラー、ヨーロッパやラテン・アメリカの曲など、すべて、デルタ流に料理して歌ってしまいます。

 技術的な面から見て、デルタのハーモニーは正確な音程と、すぐれた音楽性によってうらづけられ、その上に彼らの持つジャズ・フィーリングがりっぱに活かされております。単語ひとつの持つサウンドまで研究して編曲しているので、ことばのニュアンスも実に巧みに表現され、歌の楽しさを十分教えてくれます。

(解説:いソノてルヲ  昭和36年の記述)

 このデルタリズムボーイズが初来日するのは江利チエミ昭和28年の凱旋帰国の時です。この裏には当時まだ日本では無名だったデルタをタイミングよく売り込みたい...という部分が見え隠れしています。なんとデルタはビクターの専属だったのです。
キングの江利チエミとビクターのデルタ...
チエミさんも30周年を目前にしてこうインタビューに答えています。
    (対談相手は安倍寧さん)
>江利:デルタは永島達治さん(外タレを日本に紹介するプロモーターのはしり...だった方)が、私のはじめてのアメリカ公演のプロモーターをしてくれて、その帰りに一緒につれて帰って、今で云うジョイント・・・、ま、私が六でデルタが四という形もののをやろうということで、わざわざハワイによって1ケ月勉強したんです。
 (中略)
でも、私はほんとはビクビクしていましたよ。(忘れられるんじゃないかと...)・・・
それで当時としては珍しく、それこそ今の高校野球の優勝校みたいに大阪でオープンカーパレードしたの。

この江利チエミ凱旋帰国の時に、留守中江利チエミが吹き込み予定だった「想い出のワルツ」でビクターからデビューした雪村いづみさんが花束を持って出迎えます。
この演出もデルタのジョイントも当時ビクターの磯部ディレクターの作戦でもあったと思われます。(キングの牧野ディレクターと磯部さんの「親交」「フェアプレー」については、本編・江利チエミ 5)ウスクダラ
http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/0fe59b13b6273e7384c89ca87f769d00
 この章もご参照下さい。)

そのデルタとチエミさんは、36年再びジョイントコンサートを行いました。
この模様は、LPとして発売されました。
チ エ ミ アンド ザ・デルタ・リズム・ボーイズ... 巻頭のデルタリズムボーイズの紹介文章は、このLPのライナーノーツです。
このLPが今年キングレコードからCDとして復刻されています。

タイトル 江利チエミ アンド ザ・デルタ・リズム・ボーイズ
アーティスト 江利チエミ
種類 CD
組枚数 1枚
発売年月日 1995/02/03
発売元 キング
税抜価格 2913
税込価格 3059
規格番号 KICX-356

1 テネシー・ワルツ ガイ・イズ・ア・ガイ
セ・シ・ボン トゥー・ヤング カモン・ナ・マイ・ハウス ... メドレー
2 さのさ
3 マリーナ
4 そうらん節
5 ペーパー・ムーン
6 聖者の行進
7 ドライ・ボーイズ
8 ヒ首マッキー
9 ある恋の物語
10 O.K.ユー・ウィン
11 ノー・グレーター・ラブ
12 16トン デルタ・リズム・ボーイズ -
13 サイド・バイ・サイド

これはお持ちでないチエミファンには「お宝になる」ことうけあいです!!
ちなみにチエミさんは1~6まで、7~はデルタのみの歌唱です。
しばし主婦業に専念...色々あって前年の日劇江利チエミショウで本格的に復帰...まさに絶頂期目前の24歳の江利チエミさんの「本当に溌剌とした歌声」を聴くことができる貴重なライブ音源です。

画像はLPのジャケット...
 CDのジャケットはEP「恋の手ざわり」の時のものが使われています。

このデルタのメンバーで江利チエミの生涯の「先生」であったテナーのカール・ジョーンズさんは今も西海岸で健在!音楽のお仕事に携わっておられるそうです。カール先生の事はまたあとで掲示しようと思っています。 


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