昭和46年「チエミの白狐の恋」の有料パンフより...
この年はまさに試練・苦難...地獄のような年となってしまいましたが、この舞台で芸術祭賞も受賞と、チエミさんは体調を崩しながら見事仕事に花を咲かせました。
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他流試合に挑戦!
昭和53年東京宝塚劇場「東宝歌舞伎」沓掛時次郎/春夏秋冬 の有料パンフのチエミさんのピンナップ。
(お芝居のあらすじ)
沓掛時次郎は一宿一飯の恩義から、何の怨みもない六ッ田の三蔵を斬ったが、息を引取る三蔵から身重の妻おきぬと子供の太郎吉を、おきぬの実家に送り届ける事を頼まれた。太郎吉はすぐ時次郎になついたが、おきぬは時次郎が憎くて仕方がなかった。しかし兄夫婦の実家も住みよい所で . . . 本文を読む
昭和52年12月新宿コマ劇場座長公演「おんな忠臣蔵」パンフのピンナップ!
この直前、チエミさんは肝臓を悪くして入院というアクシデントに見舞われていました。
オープニングショウでは、このグリーンのドレスで「枯葉」...でした。
素敵でしたよ----!! . . . 本文を読む
舞台サザエさんの上演記録もかなりのもの・・・だと思うのです。
残念ながら「上演回数」は「休演日」「午後の部だけの日」とかもあったと思うので、定かに割り出せないのですが、大劇場で上演された「サザエさん」をカウントすることはできますので、ここに列記してみます。
舞台初演は「昭和41年 新宿コマ/江利チエミ・特別公演」です。
◆昭和41年11月6日~11月30日 新宿コマ
◆昭和50年1 . . . 本文を読む
このインタビューの最後に、江利チエミさんは梨元勝さんに釘を刺す!...のです。
江利:今日はね、梨元さんに一言だけお願いしようと思ってたの。
梨元:(びっくりして)え?!ぼくに? その・・・なんですか。
江利:今後ね、あたしにロマンスが絶対ないとは、自分もわかんないし、梨元さんにも分んないわね。もしそうなったら、ウチの父の所だけはマイクもってインタビューに行かないでね。
梨元:や、それは、あはは . . . 本文を読む
もう結婚は懲り懲りですか...という質問になって・・・
>江利:今度結婚しても「二度と失敗はすまい」と思うけど。だって私、高倉さんがいやな男で、うんと嫌な思いをした結婚生活だったらそうかも知れない。ただ、残念ながら添い遂げられなかった、っていうのが原因ですからね。・・・
仕事との両立は難しいということになるのでしょうね・・・という話になって・・・
>江利:あ、それが一番簡単な説明の方法だから . . . 本文を読む
前章【109】でチエミさんが火事にあった時・・・を振り返って話しされている記事を掲載しました。しかし・・・チエミさんという人は本当に「自分がどれだけ嫌な思いをした」とか「ひどい目に会った」とか・・・公にそんなことを決して自ら言うことのない人でした。46年、離婚会見をしたときも離婚の理由は「健康も崩してしまい... 添っていけなかった私が悪かったのです」の一言だけでした。みかねた雪村いづみさんは、雑 . . . 本文を読む
昭和45年1月21日 玉川瀬田のチエミさんの邸宅が全焼という事件がおこりました...
江利:テレビ朝日がNETと言ってるころですね。高倉さんがハワイに立つという夜で、私はNETの歌番組に出ていて、フィナーレじゃ間に合わないから、番組の途中で見送りに行くために家に帰ってきたんです。
そうしたら家の手前まで来たら、消防車や人だかりがいっぱいで入れないんです。お巡りさんが「これから先は入れません」と . . . 本文を読む
参考資料)週刊明星 昭和55年11月30日号「梨元勝の汗だくインタビュー第15回/江利チエミ」より
◆記事更新も「そろそろネタ切れ気味」ゆえ小出しに小出しに・・・興味深い記事を連載していきます。(笑)
このなかにも「伝えられている部分と少々違う部分」もあります。
しかし、チエミさんはこう語っています...興味深い部分を抜粋します。
梨元:今年で芸能生活30周年というと、歌い始めたのは何歳の時 . . . 本文を読む
平凡 昭和30年2月号でそれぞれのサインを手に振袖姿の三人娘。
チエミさんは「2パターン」のサイン、いづみさんは「チエミさんの漫画・夢見る夢子さんをモチーフにしたものに対抗?してか、おさげの自画像?」を、ひばりさんはなんと「サザエさん」を描いています。 . . . 本文を読む