江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ 江利チエミinロス・アンジェルス(2)

2006年10月30日 | 江利チエミ(続編)
昭和55年の米本国公演のことは、 ココ に掲示しました。確認しにくい画像ではありますが、テレビ局でインタビューを受けている...江利チエミ・ロサンゼルス公演の時におそらくは「日系テレビ局」の番組に出られているところ・・・だと思われます。   . . . 本文を読む

◆ チエミちゃんを選んだ理由・・・ @中村八大

2006年10月29日 | 江利チエミ(続編)
昭和41年10月28日から30日までの3日間... ハワイ--->米本土--->ブラジル と何度も飛行機を乗り換えながら、チエミさん/八大さんは、リオ・デ・ジャネイロで開催された「第一回/国際歌謡フェルティバル」に参加しました。 11月(初日は11/6、千秋楽は11/30)には「新宿コマ/江利チエミ特別公演」が決まっていた...のですから、まさに「過密スケジュールをぬって」の行軍だったわけです。 . . . 本文を読む

◆ 永島達司さん と ナンシー梅木さん と チエミさん

2006年10月28日 | 江利チエミ(続編)
昭和20年代、女性ナンバー・ワン「ジャズ歌手」といえば、ナンシー梅木さんと相場が決まっていました。スイング・ジャーナル誌で、昭和26年、27年、28年の読者人気投票で「一位」を独占していました。しかし、29年に江利チエミに首位を奪われ2位に、30年31年も江利チエミが一位でナンシーは2位、32年は首位/チエミ、二位/丸山清子で、三位がナンシー梅木と云う結果に...江利チエミ人気に押されたという見方 . . . 本文を読む

◆ 永島達司さんとチエミさん(その3)

2006年10月27日 | 江利チエミ(続編)
「江利チエミ・初渡米/昭和28年3月10~5月19日」・・・この話は、初期の記事「ゴメンナサイ」に掲載しています。http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/f4093a9732da952c6704a2b4fbe80098しかし、前年の1月にデビューしたばかりの新人歌手が、よくぞ「2ケ月」も日本を空ける勇気があった…と思います。しかし、ここにもちゃんと永島さんの手腕が発揮 . . . 本文を読む

◆ 永島達司さんとチエミさん(その2)

2006年10月26日 | 江利チエミ(続編)
永島達司さんは海外アーティスト招聘事業「呼び屋」のパイオニアで、今から10年前の段階でも「キョードー東京」の取締役会長の職にありました。そして音楽著作権ビジネスの最古参のひとつ「大洋音楽」の取締役社長も勤めいていましたし、また「ポリスター・レコード」の取締役会長をも務めていました。 …レコード会社を除けばこういった「ビジネス」は戦前の日本には存在しないものでした。 昭和41年6月…「ザ・ビートルズ . . . 本文を読む

◆ EARTHA KITT SINGS. LS.507 LP入手!

2006年10月24日 | 江利チエミ(続編)
~10/28まで神保町/三省堂ビル8階特設会場で『三省堂レコードまつり』が開催されています。(10:00--->20:00)ここでチエミさんのルーツの塊!...のようなアーサー・キットの8曲いりLPを発掘!!セ・シ・ボン/ウェディングベルが盗まれた/ウスクダラが入っているもので、ず---っと探してたものでした!!彼女とチエミさんのこと...の記事は ココ からいろいろ...ジャンプできます。このL . . . 本文を読む

◆ 43年新宿コマ・江利チエミ特別公演パンフ

2006年10月23日 | 江利チエミ(続編)
ポリープの術後、江利チエミさんは仕事に穴をあけることなく舞台にテレビに活躍をつづけました。『’68 チエミ秋に唄う』『八百屋お七』・・・ 画像はパンフの巻頭ページです。この左端にあるサイン・・・ 拡大します。   42年の「お染久松」のパンフと同じタイプのサイン...ですね。’68 チエミ秋に唄う・・・ この内容については ここ をご参照ください。     お芝居/八百屋お七・・・こちらについては . . . 本文を読む

◆ 舞姿 「お染久松」

2006年10月22日 | 江利チエミ(続編)
昭和42年11月/新宿コマ劇場  江利チエミ特別公演「’67 チエミ秋に唄う/お染久松」のパンフより...この向かって右下のサインも「夢みる夢子さん」のパターンではないですね。江利チエミさんの魅力のひとつに「踊れる」という部分があります。 洋舞も日舞もこなせた江利チエミさんは自ずと「演じる役どころ」も広がっていきました。この芝居のことは ここ ココ こちら などに掲載しています。  チエミさんにと . . . 本文を読む

◆ 昭和48年 命がけの舞台 春香伝 その2

2006年10月21日 | 江利チエミ(続編)
昭和48年… 46年に離婚、それから義姉の横領事件の公表、そして裁判と、チエミさんには地獄のような日々が続きます。裁判も審議中でした。数億に登る義姉による借金を一人懸命に返していた時…46年中盤から51年ころまで… 私はこの時期が一番チエミさんの喉のコンディションが悪かった時…だったと思います。(「盲腸で緊急入院」も報道されていました。また一部週刊誌には「喉から血を吐いた」と報じられたものもありま . . . 本文を読む

◆ 昭和48年 命がけの舞台 春香伝 その1

2006年10月20日 | 江利チエミ(続編)
春香伝のことは過去にも何度か掲載してきました。 主なる記事はここです。http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/a9f7e4db55785815277a642377d135cbさて、ここで「春香伝」のことをもう一度おさらいしてみます。「春香伝」は韓国の民族芸能「パンソリ」で古くから唄い継がれてきました。李朝時代に都から地方(現南原市)に赴任した役人の息子と土地の娘春香 . . . 本文を読む

◆ ひばり・チエミ・いづみ 三人三様のスタンス

2006年10月19日 | 江利チエミ(続編)
美空ひばりさんがかつてこのような思い出話をしたことがありました。 >りんご追分を唄うとね... 昔、哲也(かとう哲也さん/和也さんの父・ひばりさんの弟)が進駐軍のジープに跳ねられて大怪我したことがあったんです。そしたらその「米兵」がリンゴをぽ~んと放り投げて、そのまま走り去っていったんです。あのときの悔しいことを思い出すんです... 彼女の生まれ育った横浜・磯子/滝頭...幸い滝頭は横浜大空襲の . . . 本文を読む

◆ 英語と日本語の橋渡し(7) まとめ/その4 最終章

2006年10月18日 | 江利チエミ(続編)
さて、延々と書き続けた「英語と日本語の橋渡し」の記事ですが、ここでまとめに入ります。 >英語が苦手の日本人… 実は、この原因の1つは日本の「翻訳文化」にあるのです。 翻訳文化とは聞きなれない言葉かも知れませんが、日本人は、文化の名のつくとおり、非常に翻訳に長けた民族なのです。また、日本語の持つ特殊性(この点は、後に詳述します。)もあって、たくさんの外国の情報を翻訳によって入手し、巧みに日本独自の . . . 本文を読む

◆ 英語と日本語の橋渡し(6) まとめ/その3

2006年10月17日 | 江利チエミ(続編)
>日本語には、あいうえおが、すべて付いてまわるということです。・・・喉が震える有声音ですから、日本語は、喉が震えないで発音されることはほぼ100%ない言語だということになります。それに対して、英語は、文字上では、母音の5文字のAIUEOを除くと、残り21文字は子音となります。さらに子音は有声音と無声音に分かれますから、・・・英語はほとんど息だけで発声されるといっても過言ではない言語なのです。この部 . . . 本文を読む

◆ 英語と日本語の橋渡し(5) まとめ/その2

2006年10月16日 | 江利チエミ(続編)
美空ひばりファンは、都心型と農村型にまたがって、どちらかというと農村型より。   江利チエミファンは、やはり都心型と農村型にまたがって、その都心型より。       そして、雪村いづみファンは、完全に都心型 …. と、これまた乱暴な言い方ですがこう例えられ、私もそうだと思います。 (ペギー葉山さんは、南国土佐をリリースするまで、いづみさんと同様に完全な都心型といえると思うのです。余談ですが、この . . . 本文を読む