♪よ--ぉいヤレコノ でっかんしょ シュビディン シュンドゥビドゥバディン でかんしょLP黒髪の「デカンショ節」は、スキャット入りジャズアレンジでありました。 きっとチエミさんもそうだった...と思うのですが、私もどうも「正調」とまではいかなくとも「カラオケ」の民謡は「ノリが違うので」歌えません!!また逆に、カラオケ「江利チエミのさのさ」は、邦楽オンリーの人には「リズムの取り方がたっぷりし . . . 本文を読む
30周年記念盤として、チエミさんは「ジャズばっかり」のLPを、デルタ・リズム・ボーイズの恩師カール・ジョーンズ氏を尋ねて渡米、レッスン・アレンジを頼み、カール先生に来日してもらい、録音に立ち会ってもらいながら臨みました。(発売は56年、編曲は山屋清/前田憲男。伴奏は原信夫とシャープス&フラッツ... ベストメンバーで作り上げたLPです。) 【A面】1.TAKE THE A TRAIN(A列車で行こ . . . 本文を読む
A面
1.黒髪(地唄)
2.奴さん(俗曲)
3.黒田節(福岡県民謡)
4.宮津節(京都府民謡)
5.鯨歌(和歌山県民謡)
6.デカンショ節(兵庫県民謡)
B面
1.秩父音頭(埼玉県民謡)
2.新相馬節(福島県民謡)
3.八木節(群馬県民謡)
4.こんぴら船ふね(香川県民謡)
5.鹿児島小原節(鹿児島県民謡)
6.刈干切唄(宮崎県民謡)
昭和49年発売のLPです。このLPから「黒髪/デカンショ節」 . . . 本文を読む
昭和45年初頭、2枚組みのLP「ご存知!チエミ節」~唐獅子牡丹からさのさまで~が発売されました。
この年の初めには瀬田の自宅が全焼する...といった不幸に襲われるのですが、おそらく録音は前年に行われたものと思います。
このLPのラインアップは以下の通り...
■レコード1-1 <チエミのオリジナル>
1.涙と幸せ
2.新妻に捧げる歌
3.とんでみたい
4.ひとり泣く夜のワルツ
5.この雨 . . . 本文を読む
玉川・瀬田「法徳寺」さんはこちらです。http://www.mapion.co.jp/c/f?el=139/38/03.966&scl=10000&pnf=1&uc=1&grp=all&nl=35/36/41.522&size=500,500二子玉川駅を下車、東急ストアを抜けて左折し、大井町線の高架を越えたあたりから電信柱に案内がでていますので、それ . . . 本文を読む
不二家ペコちゃん トリビア20連発 より... >トリビア⑦ 2度のプチ整形疑惑がある 当初はギョロ目でやや面長だった顔が、1968年、黒目がちでふっくらしたほおに。 1981年には、ほおの赤みが控えめになり、スマートになった。---->江利チエミ生誕~お命日...といった「記念月間」に、なんとタイミングの悪い話題でもありますが... まあ「こんなタイミング」だったので特集記事が組まれたのでしょう . . . 本文を読む
1月23日・・・今日は江利チエミ・デビュー盤「テネシーワルツ/家へおいでよ」が昭和27年に発売された記念日です。そんな「おめでたい記念日」なのですが、一連の不幸な事件の話...ここで最終回とさせていただきます。正直、書くのも辛かったです。(よせばいいのに・・・ですね。)
明日からは暗い話はいたしません!
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元々Yには「虚言癖」があったのでしょう...
彼女の境遇を考えればそれもある意味納得できる部分があります。
自分は本当はシンデレラなんだ...と。
Yは、事件が発覚後、失踪騒ぎや自殺未遂騒動を起こしたり、週刊誌に向けて「江利チエミを誹謗中傷する記事」を発信します。
司法にこの事件が委ねられたあとも...
チエミさんと共演者の仲が怪しかった...
喉を診てもらっていた先生との仲が怪しかった... . . . 本文を読む
昭和44年3月下旬、Yは名古屋の知人から「特許がとれたら莫大な利益があがるから投資しないか」とそそのかされ、三回に分けて800万円をチエミさんに無断で投資してしまいます。ここからYの犯行ははじまります。最終的に現金の横領金額は1億8000万に及びます。うち本人が8000万を着服した形でしたが、残りの1億は金融業者に...つまりはブローカー相手に雪達磨式に膨れてしまったものになってしまいます。素人が . . . 本文を読む
Yはチエミさんの父に連絡をとり、面会に行きます。
姉とは名乗らずにYは父君のはからいでチエミさんとも面会します。
(当初2~3年の間、チエミさんはYを「ファンのひとり」と思っていたそうです。Yが義姉と知るのはマネージャーでもあった長兄のトオルさんから聞いてからだったとか...)
名古屋市N区の市営住宅に暮らすY子の暮らしは決して豊かではなかった。
夫は病弱で仕事がままならなくなっていた。
(※す . . . 本文を読む
彼女に実刑判決が下ったあと、昭和49年3月の週刊誌から...義姉のことはここから「Y」と表現します。Yは昭和8年4月に名古屋のN尋常小学校に入学します。この学区は繁華街から程近く、東京で言えば麹町の番町小学校...といった裕福な商家の多い地域だった。しかし彼女の家は芸者置屋さんに出入りして着物のつくろいをして生計をたてる貧しい家庭だった。しかし、Yは家業の手伝いもしながら決して卑屈なことろはみせな . . . 本文を読む
過去にも触れたくないあの事件のことを ここ で書いています。触れたくない話・・・ それは義姉による莫大な借財を負わされてしまうことになった...それだけでなく離婚... そしてなによりファンとして悔しいのは、昭和42年に喉を壊し、43年に手術...その後、太くて豊かなアルトは幾分細くなってしまいパワーも落ちたことは否定できないものの、高音に響く新たな江利チエミの声とでもいったらいいのか...旅立つ . . . 本文を読む
チエミさんが亡くなった翌日... 駅の売店で購入したスポーツニッポン誌の一面です。変色し色あせてしまいましたが、未だに捨てることはできず保管しています。これは関連記事の欄です。今でも残念でならないのです。 こんなことになってしまったことが・・・忘れることのできない事件のことを、暗い話題ですが、お命日の前に連載で明日から掲載します。 . . . 本文を読む