打越正行の研究室 UCHIKOSHI Masayuki's laboratory

このブログでは、広島と沖縄で暴走族・ヤンキーの若者を対象とした参与観察調査をしてきた打越正行の研究を紹介しています。

沖縄の暴走族少年たちの生きる地元――シゴキを通じた暗黙の定員制にみる排除と包摂の論理

2011年07月15日 01時49分03秒 | 口頭発表

■打越正行,2011年7月15日,『沖縄の暴走族少年たちの生きる地元――シゴキを通じた暗黙の定員制にみる排除と包摂の論理』先端社会研究所「セキュリティ/排除」プロジェクト第5回研究会(関西学院大学).

概要

 本報告は沖縄の暴走族少年らが生きる地元の排除と包摂から現代社会論を開始する地点を設定することを目的とする.具体的には,地元での新参者へのシゴキによって,暗黙の定員制がしかれる過程に着目して,排除と包摂の論理を記述・考察する.地元には,コミュニティで前提となるメンバーの均質性とそれによる閉鎖性,また衣食住といった生活の実体は見当たらない.それらをふまえて,本稿では地元をコミュニティが解体する前の臨界状態にある場所と位置付ける.今までの調査で,彼らが地元での実践を通じて,メンバーの代替不可能性を生み出しうることをみてきた.ではその地元は,いかなる過程を経て形成されるのか,本報告はここに焦点を絞る.調査を通じて明らかになった点は,2つある.

 1つ,彼らが地元に集まり,さまざまな活動を展開する際に必要最低限の資源が地元にあること(唯物論的視点).地元に集う彼らは多様で流動的であるため,共有する文化や物語以前に,まずはそこに集うための資源が欠かせない.2つ,その資源を有効に用いるために,地元が適切な規模と組織形態にあること(生態学的視点).これに着目するのは,地元が適切な規模にないと,その資源が無効化されるためである.その資源はもともと廃棄物か流通品であったが,地元にあることによって,再び有効な資源として用いられる.
 以上から,沖縄の暴走族少年たちが生きる地元は,最低限の資源と,それを有効に使用する環境があることで,メンバー同士の代替不可能性を形成しうる可能性があることを確認した.それをもとに,現代日本社会を論じる視点を再設定した.

キーワード:地元,沖縄,包摂/排除

欧文概要

(作成中)

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