■宮内洋・松宮朝・新藤慶・打越正行、2024年5月20日、『〈生活-文脈〉理解のすすめ――他者と生きる日常生活に向けて』北大路書房.(全208ページ、ISBN:978-4762832543、2970円)
■打越正行、2024年5月20日、「青年期の労働をとおして考える〈生活-文脈〉理解――沖縄のヤンキーのフィールドワークから」宮内洋ほか編『〈生活-文脈〉理解のすすめ――他者と生きる日常生活に向けて』北大路書房、29-80.
■概要
生身の身体を伴った,生活する人間を,同じく,生活する人間が理解するとはどういうことか? 地域社会を這いずり回る4人の研究者が,乳幼児期の食(共食の体験),青年期の労働(沖縄のヤンキー),成人期の政治行動(市町村合併),老年期の社会関係(孤独・孤立)をとおして考える。フィールドワークの「原点」へ。
■目次
まえがき
第1章 乳幼児期の食をとおして考える〈生活-文脈〉理解――〈生活-文脈〉とは何かについて
1.はじめに:ヒトの発達における環境について「狼に育てられた子」から考える
2.食をとおしてみる人間の発達
3.〈生活― 文脈〉とは何か
4.まとめにかえて:なぜいま〈生活― 文脈〉理解が必要となるのか
第2章 青年期の労働をとおして考える〈生活-文脈〉理解――沖縄のヤンキーのフィールドワークから
1.『ヤンキーと地元』で書いたこと
2.戦い方から現実に迫る
3.沖縄の建設業を生きる
4.沖縄のヤンキーの〈生活― 文脈〉理解:長きにわたって奪いつづける関係をもとに
【第2章 補論】脇の甘いフィールドワーカーがフィールドに巻き込まれた軌跡
1.パシリ気質の父親
2.脇の甘いフィールドワーカー
3.〈生活― 文脈〉理解と、観察者の変化
4.時間をかけて馴染ませる
第3章 成人期の政治行動をとおして考える〈生活-文脈〉理解――市町村合併の事例から
1.はじめに:市町村合併論議と住民の〈生活-文脈〉
2.住民の生活圏と「村の精神」という文脈:鈴木榮太郎の議論
3.農民の日常生活と「生活組織」という文脈:有賀喜左衛門の議論
4.群馬県旧富士見村における市町村合併問題
5.群馬県旧榛名町における市町村合併問題
6.政治グループにみる地域社会における政治行動と〈生活―文脈〉理解
第4章 老年期の孤独・孤立をとおして考える〈生活-文脈〉理解――高齢者の「文脈」なき「生活」理解を超えて
1.はじめに:鎌をめぐる出来事から
2.高齢者の「孤独」・「孤立」をめぐって
3.「文脈」なき「生活モデル」?
4.高齢者の〈生活― 文脈〉理解から
5.さらなる〈生活― 文脈〉理解に基づく福祉実践へ
6.おわりに:「文脈」をふまえた「生活」理解
終 章 〈生活-文脈〉理解の視点から永山則夫の「転職」を再考する
1.はじめに:永山則夫と二冊の本
2.永山則夫の転職
3.永山則夫と虐待
4.トラウマによる〈逃走〉の可能性
5.おわりに:見る人自身の〈生活― 文脈〉
あとがき
■打越正行、2023年12月20日、「パシリとしての参与観察――つかえる部外者から、つかえない内部関係者へ」社会理論・動態研究所編『理論と動態』16: 32-50.
DOI: https://doi.org/10.51112/16/32
概要
本稿は、パシリ(雑用係)としての参与観察の意義について考察することを目的とする。私は20年近く、広島市と沖縄で暴走族、ヤンキーの若者のパシリという立場で参与観察を実施してきた。そこで調査対象者から教わったことは、沖縄の建設業を生き抜く過程で身につけたパシリとしての生きざまであった。そこで、能力を欠いた状態(貸し)と、いつでもいつまでも社長や先輩に時間を差し出す(借り)ことによって関係がつくられていた。その関係は貸しと借りが完済されないことでつくられる贈与的な社会関係といえる。本稿では、このパシリという立場を参与観察における有効なものとして整理した。
パシリが参与観察の有効な立場であることを論証するために、参与観察における調査者を、調査対象社会の部外者(観察者)か内部関係者(参加者)かという社会の内外の尺度となる軸と、調査対象社会で与えられた役割を果たしているか否かの貢献度の軸を交差し、そこにパシリを位置付けた。その区分によると、(1)つかえない部外者、(2.1)つかえる部外者、(2.2)つかえない内部関係者、そして(3)つかえる内部関係者の4つの立場に整理できる。社会調査において対象者とラポール(信頼関係)を築くことがめざされ、到達すべき立場とされてきたのは、つかえる部外者である。そこでは、調査対象者との利害関係は、回避、もしくは最小化し、生じてしまう借りと貸しはその場で完済すべきものであった。対照的に、つかえない内部関係者であるパシリとしての参与観察は、調査対象者との間に貸しと借りが生まれることを積極的に位置付け、また調査対象社会の生活や調査対象者の人生に巻き込まれていくことを避けるものではない。そのような不安定な地位にあることや、社会関係(利害関係)に巻き込まれる立場であるパシリは、参与観察を行う際に有効となりえることについて論述した。
キーワード:パシリ、参与観察、つかえない内部関係者
■打越正行、2020年10月20日、「排除Ⅰ――不安定層の男たち」岸政彦・打越正行・上原健太郎・上間陽子編著『地元を生きる――沖縄的共同性の社会学』ナカニシヤ出版、263p-370p.(全472ページ、ISBN:978-4779514975、3520円)
沖縄の共同体が階層やジェンダーによって表れ方が異なることについて、具体的には安定層、中間層、下層、女性のそれぞれの実態を各共同研究者が描いた。打越は、暴走族から建築業に就く下層の若者たちを対象とし、彼らが沖縄の共同体から排除され、自身で作り上げる関係へと拘束されていく様子を描いた。
■目次
序文――沖縄にとって「地元」とは何か(岸 政彦)
第一章 沖縄の階層格差と共同性(上原健太郎)
一 沖縄の経済と階層
二 「共同体の島」としての沖縄
第二章 距離化――安定層の生活史(岸 政彦)
一 安定層の生活史調査
二 「よそ者はよそ者なんですね」――公務員・男性・一九六四年生まれ
三 「沖縄ってすごく階層社会」――教員・男性・一九七三年生まれ
四 「彼方にある沖縄」――教員・男性・一九五五年生まれ
五 「地元捨てたんですよね」――高校教師・女性・一九七二年生まれ
第三章 没入――中間層の生活史(上原健太郎)
はじめに
一 調査概要
二 タカヤの「夢」
三 地元の同級生と合流
四 若者集団Yの結成
五 オープン間近の状況
六 ネットワークの活用・創造・維持
七 互酬性と没入
おわりに
第四章 排除Ⅰ――不安定層の男たち(打越正行)
はじめに――終わらないパシリ
一 暴走族のアジトへ
二 暴走族から建築業へ
三 沖縄的共同体の外部に生きる――〈共同体からの排除〉
四 終わらないパシリ――〈共同体への拘束〉
五 沖縄の下層の若者と共同体
エピローグ
第五章 排除Ⅱ――ひとりで生きる(上間陽子)
はじめに――沖縄の地域社会
一 援助交際開始・前
二 家を出る
三 家に帰る
四 帰ってきた場所といま
あとがき
■内容説明
階層格差という現実のなかで生きられる沖縄的共同性──。
膨大なフィールドワークから浮かび上がる、
教員、公務員、飲食業、建築労働者、風俗嬢……
さまざまな人びとの「沖縄の人生」。
ここにあるのは、私たちがたまたま出会った、小さな、ささやかな断片的な記録である。しかしこの「生活の欠片たち」を通じて、私たちなりのやり方で沖縄社会を描こうと思う。
……
私たち日本人は、一方で「共同性の楽園」のなかでのんびりと豊かに生きる沖縄人のイメージを持ちながら、他方で同時にその頭上に戦闘機を飛ばし、貧困と基地を押し付けている。
本書は、少なくともそうした沖縄イメージから離脱し、沖縄的共同体に対するロマンティックで植民地主義的なイメージが、基地や貧困とどのように結びついているかを、日本人自身が理解するための、ささやかな、ほんとうに小さな一歩でもあるのだ。――序文より
■新聞
『沖縄タイムス』(書評:糸数温子、2020.10.24)
『西日本新聞』(書評:水原涼、2020.12.12)
『信濃毎日新聞』(書評:安田浩一、2020.12.12)
『中国新聞』(書評:安田浩一、2020.12.13)
『神戸新聞』(書評:安田浩一、2020.12.13)
『朝日新聞(夕刊大阪版)』(紹介:滝沢文那、2020.12.16)
■雑誌
『沖縄キリスト教短期大学紀要』(紹介:宮平隆央、50号)
『生活指導研究』(紹介:浅野誠、38号)
■放送
「おきなわ HOTeye」(NHK沖縄、2020.11.4)
■打越正行、2020年5月29日、「沖縄のヤンキーの若者と地元――建設業と製造業の違いに着目して」日本平和学会編『平和研究(「沖縄問題」の本質)』54号: 71-90.(全224ページ、ISBN:978-4-657-20009-9、2420円)
原稿概要
本稿は、沖縄の周辺層にあるヤンキーの若者たちが地元を介して建設業に就く移行過程を対象とする。そして、その過程は本土の周辺層の若者が、家庭や学校を基盤として工場労働者となる移行過程とは質的に異なるものであること、その差異は、沖縄の基幹産業である建設業と、本土社会の分厚い製造業の間にある分断によるものであるということについて述べる。
製造業も建設業も、ともに3K(きつい、汚い、危険)のブルーカラー労働に区分される。しかし、働き方やそこで形成される人間関係のあり方、そして世界の見え方や将来展望などにおいて、両者は大きく異なる。
戦後の日本社会は、分厚いブルーカラー層、なかでも大手の製造業が先導し、それを下請け企業が支える形で、日本的経営と日本型福祉の体制がとられてきた。規律訓練型の教育を施す学校は、工場における働き方に適合的な労働者を養成した。本土における周辺層の若者たちは、親和的な関係にある学校から工場への移行が比較的スムーズに展開された。
他方、沖縄の産業構造は、製造業の比率が少ない。それは沖縄戦で焼け野原になったこと、占領政府下のインフラ整備で周辺労働力が中小の建設業に組み込まれざるをえなかったなどの理由による。また見込み生産方式である製造業と比べて、受注生産方式の建設業は、発注者の動向に依存せざるを得ない。そのため景気に左右される不安定な業界である。それに加えて沖縄の建設会社は本土の大手ゼネコンの下請けである中小零細企業がその中心である。沖縄の建設会社は、このような不安定な状況を地元の後輩たちを雇用することで乗り切ろうとした。この過程でつくられたのが、地元の「しーじゃ」[先輩]と「うっとぅ」[後輩]の社会関係であり文化であった。
本土社会では学校が職業分配機能を担い、家庭や企業が福祉的機能を担った。しかしそのような機能をはたす学校や家庭は、沖縄のヤンキーの若者たちが建設業に移行する過程ではほとんど機能しない。そのような彼らの移行過程を補完したのが地元であった。このような構造や歴史の制約を受ける形で、沖縄の建設業に就く若者たちは固有の社会関係のあり方やそこでの文化を形成してきた。つまり沖縄の建設業で働く人びとは、「復帰」した後も学校や家庭、企業による日本的経営や日本型福祉の外部を生きてきた。その実際について、沖縄のヤンキーの若者たちを対象とした調査に基づきながら描き出すことで、現在も沖縄が抱え続けている経済的脆弱性という問題の構造を析出していく。
著書紹介
日本の平和研究の原点の一つである「沖縄問題」。課題は「平和と自立」の実現とされ、これまでも「平和」については日米安保体制と米軍基地、「自立」については政治制度の変更を視野に入れて議論されてきた。本号では、政治・憲法・歴史・社会学それぞれの視点で「自立」が問われ、日米軍事戦略、沖縄被爆者をテーマにし「平和」が語られる。先人が残してきた研究の蓄積と同様に、「沖縄問題」をめぐる平和研究のマイルストーンとなるであろう一冊。
Yankee youth and local communities in Okinawa: A focus on differences between the construction and manufacturing industries
UCHIKOSHI Masayuki
In Japan, Yankee refers to a cultural group of underclass youths. This paper explores the process by which Yankee youth enter the construction industry through local communities on the periphery of Okinawan society. I argue that, because of family and social connections, this process qualitatively differs from that of Yankee youth working in the manufacturing industry on the periphery of mainland Japanese society. Differences arise from the division between the construction industry, which is the key industry in Okinawa, and the manufacturing industry, which has a stronger foothold in mainland Japan.
After World War II, Japanese management styles and welfare systems were established by the majority blue-collar class. Specifically, they were led by large manufacturing companies and supported by subcontractors. Mainland Yankee youth enjoyed a relatively smooth transition from school to factory employment because of the close relationship between them.
In Okinawa, manufacturing plays a smaller role in the industrial structure, and construction companies are generally small- and medium-sized businesses that subcontract from large general contractors. These companies have sought to survive in an unstable environment by employing their juniors from the local community. Through this process, a culture and social relationship between local seniors, "shiijya, " and juniors, "uttu, " has emerged.
On the mainland, schools perform an employment distribution function and families and companies perform a welfare function. However, in the process of Yankee youth transitioning into the construction industry, schools and families no longer perform these functions. Amid systemic and historical constraints, those who pursue employment in the construction industry have developed unique social relationships and culture.
The social relationships sustaining cultural reproduction within the construction industry are distinct from those on the mainland. This qualitative difference occurs outside the cultural reproduction of the mainland's blue-collar class, which is sustained by company, school, and family. Neglecting to address this unjust situation and these unjust relationships, and continuing to appropriate that relationship back to its source, leads to continuing structural discrimination.