
あの日から余震が起こらない日は無く・・・
富士市内は、大きな震度の揺れはココ何日か
起こってはいないのですが・・・(^_^;)
何故か???しょっちゅう揺れを感じているようで
ついつい頭の上を見てしまう毎日
意外とその時間に宮城とかで大きな余震が起こっていたりして
結構敏感になっています
そんな症状の方が増えているそうです
重くなると吐き気や頭痛を伴ってくるらしい
「地震病」って言うそうです

対策は・・・
①ストレッチをする。
②首を振る
ジッとしてないでなるべく日常生活に近い動きを続ける
③地震を意識しすぎない。(意識しちゃう~

ユックリ、リラックスする事が一番だそうですが・・・
こんな毎日が続きとゆったりは出来ませんネ
一日でも早く余震が治まり、不安が取り除かれる事を祈ります
3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により
お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に
被害を受けられた皆さま、そのご家族の皆様に
心からお見舞いを申し上げます。
富士宮市・富士市の深夜の大地震からは
一週間が過ぎようとしています
未だ急に揺れているような気がして
頭の上で揺れている物を捜したり、落ち着かない毎日
地震の翌日はお店の定休日で、様子を見に来たら・・・・k
机の上の私の相棒が転落事故
店頭の鏡は倒れ
ブーツは薙ぎ倒され
重い書類は棚から滑り落ち
休憩室の食器は割れて飛び散っておりました
突然の大地震
いつも東海地震が来る来る
と言われながら
何にも手当をしていなかった事に反省しきり・・・・
倒れて危ない物はしっかり留めて
割れ物重い物は高い場所に積まないように
懐中電灯も各店に準備しました
お水も各店にいつも有るように手配しました
ヘルメットもご来店のお客様用も含めて発注
(ちょっと遅かった~未だ届かない)
怖い思いをして、学びました
危機管理が甘かったです
皆様もご自宅の地震対策はしましたか???
地震の翌日、お守り代わりに購入
顔ベル(防犯ベル)結構大きな音が出ます
助けを呼べるように・・・・
おひとり様なので夜が怖いんデス
ku (^_^)v
富士市は18日金曜日19:00~21:00迄の時間
東京電力の計画停電でした
昼間から落ち着かず
18:30閉店で急いで帰宅
当初の予定開始時間は18:50ギリギリセーフ
・・・が消えない???
慌てて電気ポットでお湯を沸かす
ガスにするべきでした、考え無しで・・・m(_ _)m
19:00にが「プツーン」と消えました
早速 先日家中を大慌てで捜索して見付けたキャンドル
小さな灯りで
いつ使うのかな~と思っていた小さなキャンドルが大活躍
ふとカーテンを開けると月夜明かりがアリガタイ
一息して顔を洗おうと思ったら、なんとお水がチョロチョロ
洗面所の水道も電気
お風呂のスイッチも電気
トイレのお水を貯めるのも電気
オール電化と違うのはキッチンのガスコンロだけ・・・・?
寒いのでお布団にくるまってウトウトしてたら21:00で電灯
予定時間より一時間早い点灯に
あと一時間我慢出来たのに・・・と呟きながら
思ったよりも電気頼りの日常にショックを受けた夜でした ku (^_^)v
* 明日21日の東京電力の計画停電は中止となりました
<追記>
21日の計画停電 第2・第3グループは実施予定は
本日(21日)正午の発表とのこと・・・ご確認下さい。
昨日(20日夕刻)は中止と伺っていたのですが
二転三転して気が抜けません
交流プラザ前にて集められた救援物資は無事届けられました
許可を頂き、この車で届けました
メンバーの皆さんです。
*以下は当日の活動報告書の内容です
東日本大地震 救援物資収集活動 報告書
活動日時 : 平成13年3月13日
活動場所 : 富士交流プラザ前芝生場 (旧 富士文化センター)
活動時間 : 9:30 ~ 16:30
今回は、地震発生直後ということで、場所の確保、伝達という一連の動きを早急に、開始させていただきましたが、開催までが、24時間以内に行われたということもあり、人手の確保、収集方法、関係各所との連係不足等、反省点があからさまになりました。
しかし、本題は「一刻でも早く、被災地に物資を届ける」ということだったので、最終的には、約50名の有志によって、赤ん坊用オムツ、粉ミルク、お湯で作れるインスタント食品、ペットボトル入り飲料のみという、断定収集に踏み切らせていただきました。開催前予想をはるかに超える、ダンボール箱、約1000ケースの物資を収集することができました。みなさまの寛大なご協力に、改めて感謝です。
予想以上に収集された物資の運送には、まず当日中に、富士市富士町公会堂と、甲子神社内に2日間保管、3日後に4tトラックに積み替え、軽油100L、若干の毛布、衣料を加え発送。その際、カンダ物産 代表 神田武士 様をはじめとする、たくさんの有志者のご協力のもと、迅速な対応をとらせて頂きました。
今回の物資届け先は、栃木県の日光。そこに、株式会社 創英Group 加藤秀視 様
の現地対策本部があり、物資は無事、託すことができました。そこから、本当に物資がいきわたっていない、東日本の各所に確実に届けていただいております。物資到着の次の日には、宮城県気仙沼・石巻に届きました。
福島県福島市、宮城県仙台市、茨城県茨木市との連携は取れていますが、実際、届き先はあっても届ける物資がなく動きが取れないところに、今回の物資を届けさせていただいきました。
様々な現状を知ることもできました。
そのひとつは、当たり前のことですが、メディアが入れるところ(テレビで見るところ)は、自衛隊やレスキュー隊、物資も届きます。逆にメディアが入れないところ(テレビで見れないところ)には自衛隊も物資も届きません。
現に向こうでの打ち合わせ中にも、加藤氏のところに餓死の報告などが来ていました。この瞬間にも、赤ちゃんやご年配の方々が、凍死や餓死の危険にさらされています。
イージス艦に救助された方も、死体回収中のひとりが生きていたという話です。
今、日本全体で物資が不足しています。その物資を日本に住むすべての家族達の共有物と思っていただけないでしょうか。今回、警察の許可証をいただいて緊急車両として行って来ましたが、給油制限は帰りの東名でもありました。驚いたのは関西や四国から来るレスキュー隊などの緊急車両も給油制限を受けていました。
最後に、今できることは、一秒でも早く、無駄のない物資提供をということです。皆様のご協力のほど。よろしくお願い致します。
55ENT.
箭田 太一
以上です。