旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

閑雲野鶴日記 2020年(令和2年)6月10日 水曜日 朝の散歩『名所・旧跡10kmコース』 『大砲台場跡』

2020-06-10 08:31:35 | 閑雲野鶴日記
 今朝も港区。う~ん。




①日の出が一番早い日が近づいてきました。4時20分の出発です。


②今日の「名所・旧跡案内」は、『大砲台場跡』。


 幕末になると欧米各国が開国を求めてやってきます。盛岡藩でも外国船に備え海岸に砲台場を設置するため、1807年(文化4年)に南部領内を検分したとの記録が残っています。
 吉田松陰の『東北遊日記』には、1852年(嘉永5年)3月7日「馬門にいたる。盛岡の置くところに砲台あり、備門1門。野辺地に宿す。戸数三百戸」とあり、馬門に台場があったことが記されています。
1856年(安政3年)には、馬門村柴崎・土場川の二箇所の台場を廃し、野辺地浜町に台場を建設するとのお達しにより、大砲7挺の台場が完成したそうです。
 台場建設にあたり現在の新町からここまで延びる道路が新たに造られ、その後付近の町名が『新道』となりました。
 なお、砲台建設の責任者の1人である「縄張り奉行」には、盛岡藩士新渡戸十次郎(新渡戸傳の嫡男。新渡戸稲造は十次郎の三男。)
 実際にこの大砲台が使われたのは、1868年(明治元年)の戊辰戦争だそうで、新政府軍の砲撃は50~60発で常光寺の大杉や各所に着弾したものの、いずれも爆裂はしなかった。一方台場からは、17~18発発射し帆柱と船体中央に2発命中し、新政府軍の陽春丸は慌てて退散たと伝えられています。

(白矢印は標柱 赤矢印は新道)

③昨日の最高気温は25度でした。
 今日は更に暑くなりそうです。
 未だ8時だというのに21.5度あります。




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