旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

閑雲野鶴日記 2020年(令和2年)6月11日 木曜日 朝の散歩『名所・旧跡10kmコース』 『大祐神社』

2020-06-11 11:17:09 | 閑雲野鶴日記
 今朝も港く~う。


 二重橋前に代わりました!




①昨日、中国・近畿・東海が梅雨入りしたとみられたことから、残るは関東甲信・北陸・東北南部・東北北部となりました。
 今日は午前9時頃には雨が降るという予想です。


②今日の「名所・旧跡案内」は、『大祐神社』。
 地元では大祐堂として親しまれています。江戸時代の古地図にも大祐堂と記されています。


 鳥居には『大祐神社』とあり、金沢町集会所に隣接しています。


 大祐の名称の由来は定かではありませんが、次のような伝承があります。
 『昔、大祐という者がその従者又次郎と長才という兄弟を連れて漁をしていました。2人とも漁が非常に巧く、これで主人を養っていました。この2人がある時、八戸の新田川で又次郎は鮭千本、長才が八百本をとりました。このことがあってから漁師は恵比寿槌で魚の頭を打ち、「千魚又次郎八百長才」の9字を唄い、大漁の神祀としているそうです。』
 この大祐は工藤祐経(『曾我兄弟の仇討ち』で、曾我兄弟によって父親の仇として討たれた。『赤穂浪士の討ち入り』と『伊賀越えの仇討ち』に並ぶ、日本三大仇討ちの一つ。)の子、犬房丸(伊東祐時)であるといいます。所謂漁の神様として祀られているのですが、八戸市湊町の大祐明神と同じ神祀と考えられます。
 しかし、これはあくまでも伝承であり、大祐堂の命名及び発祥と関連するかは不明ですが、安政年間(1854年~1859年)には地域で御神輿を寄進したりお祭りが盛大に開かれたりしていたと言われています。




③気がつけば野坂ビルの解体工事も一気に進んでいました。
 それにしても5時半前というのに、作業員の方が集まっていました。


 今日からの作業に使う大型機械の到着を待っていたようです。


④いつもは最短直線コースで上る愛宕公園ですが、今日は逆回りにします。


 下りは、愛宕神社の階段から下りていきます。


 家に着く直前。雨粒が落ちてきました。


 本降りになったのは9時少し前。


 最近の天気予報は確率が高いですね。何でも高度な計算方法のソフトウエアや、AI技術の進歩と関係してそうです。
 東北北部の昨年の梅雨入りは6月15日でしたが・・・。


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