つわわわわ

上半身が球体に近づきつつある男の、特になんともないブログ

ゆめ55 『鸚鵡』

2010年09月10日 05時14分21秒 | だれかのゆめのにっき

籠の中の鸚鵡が言った。
「狂人という言葉は間違っているよ。
 人であるということは既に狂っているということだから」
と、人の言葉で流暢に言った。
それは誰かに教え込まれたというよりも、
鸚鵡自身が紡ぎ出した言葉であるようだった。
だので私は、それはどういう意味ですかと問うたのだけれど、
鸚鵡はぎゅわぎゅわと鳴くばかりで、それきり何も喋らなかった。

生ゴリラ

2010年09月10日 05時13分16秒 | ゴリラ
久々に生ゴリラを拝見してきました。
いやー、やはり彼らは凄い。

まずあの圧倒的な存在感。
ガラス一枚隔てた向こうに黒い筋肉の塊が鎮座しているわけですが、
どの距離から見ても、どの角度から見ても、常にゴリラ。
全身から発するエネルギーというかゴリラ感というか、もう勝てる気がしない。

ライオンやらトラやらはもう「怖い」「かっこいい」みたいなことで、
老若男女貴賤を問わず認められているわけですが、
ゴリラはそのユーモラスな仕草や顔面のせいで、割と舐められているというか、
「ゴリラ(笑)」みたいに思われている節があるじゃないですか。

いやいやそうじゃないだろうと。
よく見てみろと。
いや、見るとかじゃないな。
感じてくださいよ、ゴリラを。
ゴリラに対する固定観念を捨て去って、裸でゴリラと向き合ってみてください。
そうするとね、きっとあなたの中の野生は大きな悲鳴を上げるはずですよ。
「これがゴリラか」と。
一個の生物としての視点をもってゴリラを感じれば、
自ずと静かなる畏怖の念が生まれてくるはずです。
トランスフォーマービーストウォーズのコンボイがゴリラだったことも頷けます。
ひとたまりもねえ。

あとはやはりオスゴリラとメスゴリラの身体っていうのは、
単純な大きさだけじゃなくて細かいところも全然違うんだなということを感じました。
腕の太さや肩周りのフォルムは勿論、顔立ちとか目に宿るものだとか。
とはいえ、どちらのボディにも共通した目的があるわけですね。
それは「守る」ということ。
オスゴリラのボディは群れを守る猛々しいボディ。
メスゴリラのボディは子どもを守る優しいボディ。
どちらも筆舌に尽くしがたい力強さを携えたゴリラボディでした。

あ、そうそう、今回生まれて初めて生の赤ちゃんゴリラを見ました。
ゴリラベイビーはまだまだ子どもという感じで、
ゴリラ本来の醍醐味みたいなものは感じられなかったのですが、
島袋光年の漫画に出てくる少年のようでかわいらしかったです。
人間の子どもと大差のない姿をしたあのベイビーが将来、
立派なアダルトゴリラになることを想像するとゾクゾクしますね。
未来のホープに今から期待大です。

でも一番怖かったのはヒグマ。

演劇ぶっく読後

2010年09月10日 04時22分47秒 | 日記
いつものようにグニャグニャしたことを喋っていました。
これが全国書店で売られているのだから怖ろしいことです。


ちなみに演劇ぶっくのwebサイトにも、本誌連動企画として、
ページに収まりきらなかったトークやらが掲載されております。
上演台本もアップされているので興味のある方は以下のURLからぜひ。
http://www.enbu.co.jp/kick/enbuwork/enbuwork.html

もちろんこっちでも僕の発言はグニャグニャです。
どうしよう。