都心まででかけたら遅くなっちゃって、急いでいた駅からの帰り道。同じ電車にのっていたらしき女の子がちょっと前のほうを歩いていた。さて、ありがちな話だろうけど、僕がある程度の距離まで近づいたところで…やっぱり女の子の足よりは速いからね…彼女が急に速度をあげはじめた。
つまりこれは、僕が”怖い人”かもしれないって思って、警戒されたんだよね。
まあ、こちらを振り返ってから逃げられるよりはショックが少ないとはいえ、羊のようにおとなしい(と自覚している)僕としてはやっぱり悲しいものがある。
それにしてもこういう時は一体どうしたらいいんだろう。「怪しいものじゃないです!」って声をかけたらよりいっそう怪しい人だし、むしろ追い抜いてしまえ、と足をはやめたら完全に相手は怯えてしまうだろうし。
似たようなことを思うのは混んでいる電車の中でもそうで、無駄に両手でつり革につかまってみたりするんだけど、別に疑われもしないうちから「疑わないでくれ」っていうわけにもいかないし、このもどかしくも切ない気持ちをいかにせん、って感じだ。
というわけで、僕としてはそんな思いをしなくてもすむように、けしからぬ輩が少しでも減ってくれますようにと祈るしかない。……ああでも、だからといって面と向かって「イバラノ君は安全圏」なんていわれるのもなんだか嬉しくないっていうのは、実に複雑な男心だよね。
僕は、今でこそ大分落ち着いてきたけど、いわゆる赤面症っぽいところがあって、しかも色白なものだから、一度意識しちゃうと顔どころか耳まで真っ赤になってしまう。
そういう時は、一瞬で顔だけじゃなくて身体も熱くなっちゃって、「血が上る」なんて言葉どおりの状態になるんだよ。
これがどういうメカニズムによるものか、僕にはよくわからないけれど、このときほど自分の身体っていうものがいろんな細胞の集まりなんだって意識することはない。なんていうのかなあ、全身のいろんなものが僕の意思に関係なく駆け巡っている感じがすごくするんだ。
いや、だからどうしたって話じゃないんだけどね。どうもこのところ妙な調子だなあ。
一人で昼食をとりながらぼんやり考え事をしていたら、
「愛」の定義ってなんだろう
なんてことがむしょうに気になってしまった。
それで、その足で図書館にいって、辞書を繰ってみたんだけど、なんだかすっきりしない。さらに考えてみたら、僕が知りたいのは「愛の意味」ではなくてその表現とか表出したものがどうあるべきか、ってことなんだと思った。
だってさ、「愛しているからこうします」っていう場合、「こうします」の部分が人によって大きく違ったら、相手にとっては「それは愛じゃない」ってことになっちゃうよね。つまり…
…なんだかすごく気恥ずかしいことを書いてるね。これだから夜中は危険なんだよ。中途半端だけど今夜はこれでアデュー。
ボンソワール。
最近よく見かけるボロボロに加工したジーンズにはさほど魅力を感じない僕なんだけれど、それを「おしゃれ」って思う感覚はわからなくもない。新品をいつでも買えると思うと、変わったことをしたくなるものだよね。お金持ちの道楽が庶民にも流行った、みたいな感じがして面白いとも思う。
だけど積極的に着る気になれないのは、好みの問題だけでなく、僕のいる環境でそれをやると、「ボロボロに加工した」ものと「ボロボロになっちゃった」ものの境界が曖昧で、わざわざ買った甲斐がなくなっちゃいそうだからだ。
もちろん、見る人が見ればわかるに違いないけれど、ボロボロのジーンズを履いた当人から「あいつオレより貧乏なんだな」とか思われるのは、避けたいと思うんだよ……あ、いやもしかしてあれも「おしゃれ」だったらどうしよう。
新学期になって、路上観察部に…引退したことにはなっているんだけど、やっぱりたまにのぞいちゃうんだ…留学生が入ってきた。その彼が、たまたま僕が絵を描いているところに(ちなみに学校ではもう少し普通っぽい絵を描いているんだけどね)やってきて、話しかけてきた。
「イラストウマイデスネ、ボクもエをカキマース(←彼の日本語はうまいんだけど、まあ雰囲気を出したいのでこんな表記で)」
「そうなんだ、描いたやつ見てみたいな」
「コレデース(←すでに準備していたのか!)」
ノートを見せてもらうと、そこにはいかにも日本のアニメが好きなんだろうなあっていう感じのイラストがいろいろ描いてあって、キャラクターとその設定みたいなのもあった。
その中の女の子のところについていた名前が、
「ダヤ子」
だったので、僕はそのネーミングセンスに大層感心してしまった。だって、「ダヤ子」だよ?僕には絶対考え付かないよ。
そんなわけで、彼とはなんだかすっかり仲良しみたいになっちゃったんだ。共通の趣味っていうのは、いろいろと話がはやくていいね。
キャンパスで、ちょっとした人だかりができていたのでのぞいてみると、寮のイベントの宣伝かななにかで、妙なパフォーマンスをやっていた。
それ自体は別に珍しいわけじゃないんだけれど、僕としてはその中に誰も知り合いがいないっていうのが、ホッとしたような、寂しいような気分だ。なにしろ以前は何か変なことがあれば必ずそこには誰か知り合いが一人くらいはかんでいたんだからね。まあこんなところでも世代交代は順調ってことかもしれないね。
先月いつもよりアルバイトができなかったので、実は今ちょっと懐がピンチだっ
たりする。僕はもともとそんなにお金を遣わないほうだと思うんだけど、そのぶ
んこういうときには、どの出費を削るべきかと考えてしまう。まあ、一番高くついているのが本の類だから、それを我慢するべきだろうなあ。あと本当は飲み会っていうのがくせものだけど、これはもう逃げ回るしかない。
ただ、ひとつ助かるのは、僕の一番の趣味の「絵を描くこと」は、その気になれ
ばいくらでもお金をつかえるけど、逆に紙と鉛筆さえあれば最低限のことはでき
ちゃうってことだ。これほど経済な趣味っていうのはあんまりないんじゃないか
な。そのうえ、いくらでも豪華なものを描けるしね。
と、ここまで書いて、それなら文章を書くのも音楽をつくるのも似たようなもの
かなと思った。結局「消費する」タイプの趣味と、「作り出す」タイプの趣味な
ら、後者のほうが経済的ってことかもしれないね。そんな書き方をしちゃうとミ
もフタもないけどさ。
たりする。僕はもともとそんなにお金を遣わないほうだと思うんだけど、そのぶ
んこういうときには、どの出費を削るべきかと考えてしまう。まあ、一番高くついているのが本の類だから、それを我慢するべきだろうなあ。あと本当は飲み会っていうのがくせものだけど、これはもう逃げ回るしかない。
ただ、ひとつ助かるのは、僕の一番の趣味の「絵を描くこと」は、その気になれ
ばいくらでもお金をつかえるけど、逆に紙と鉛筆さえあれば最低限のことはでき
ちゃうってことだ。これほど経済な趣味っていうのはあんまりないんじゃないか
な。そのうえ、いくらでも豪華なものを描けるしね。
と、ここまで書いて、それなら文章を書くのも音楽をつくるのも似たようなもの
かなと思った。結局「消費する」タイプの趣味と、「作り出す」タイプの趣味な
ら、後者のほうが経済的ってことかもしれないね。そんな書き方をしちゃうとミ
もフタもないけどさ。
「そうだね」
って、一言いうだけでいいのに、それが言えないってことがある。
ちゃんと、相手のいいたいこともわかっているし、それが自分のいいたいことと大して違わないことだって理解しているはずなのにね。
その上、お互いに「そうだね」って言えなかったことに、悲しくなっちゃうんだから始末に悪いや。
考えることが一から十まで同じなんてほうがおかしいし、違うことをこそ祝福したいって、常々思っているはずなのになあ。
それでもやっぱり、「そうだね」って言ってくれない君と、「そうだね」って言えない僕とでまた話をしたい、って思ったりするんだよ。
普段ならあんまり心を惹かれない、あんこがたっぷりかかった白玉みたいなものの写真を目にして、わあすごく食べたいなあ、今僕に必要なのはこういうものだなあって思ってしまった。
疲れているときには甘いもの、ってよく言うけれど、疲れにもいろいろあって、辛いものでしゃきっとしたいような時もあるよね。
ひとづきあいにも似たようなところがあって、へこたれているときに厳しいことをいってくれそうな人に会いたくなるときもあれば、だまって甘えさせてくれそうな人に電話したくなることもある。
なんていろいろ書いているのは、自分がいまちょっとぐずぐずの状態なのを甘やかしていることに対してなんだかんだと言い訳しているっていうだけなんだけどさ。