一人で昼食をとりながらぼんやり考え事をしていたら、
「愛」の定義ってなんだろう
なんてことがむしょうに気になってしまった。
それで、その足で図書館にいって、辞書を繰ってみたんだけど、なんだかすっきりしない。さらに考えてみたら、僕が知りたいのは「愛の意味」ではなくてその表現とか表出したものがどうあるべきか、ってことなんだと思った。
だってさ、「愛しているからこうします」っていう場合、「こうします」の部分が人によって大きく違ったら、相手にとっては「それは愛じゃない」ってことになっちゃうよね。つまり…
…なんだかすごく気恥ずかしいことを書いてるね。これだから夜中は危険なんだよ。中途半端だけど今夜はこれでアデュー。
かなり前から拝見させていただいてましてが、コメント欄への投稿は初めてです。
ヒューマニの友人によると、「love」に初めて日本語訳を与えようとしたときに、その概念に悩んだ結果、「お大切」と訳そうとしたそうです。
って、愛の表現や表出の話とはすこしずれてしまったでしょうか?この話題が少しでも役立てば幸いです。
ボクにとってのソレは「強く抱きしめるコト」だったりするんだけど…。ぎゅうっと、相手が戸惑うほどに…。言葉でもやさしいキスでもない、ただ「強く抱きしめる」コト、「抱きしめたい」と思えるコト…それがボクにとっての「愛」の表現だな。
私は、愛は「見守り、受け入れ、包み込む」ものと思います。「抱きしめる」まで行ってしまうと対象が恋人や子供などに限定されてくるので・・。
愛はもっと広い対象にももてますから。
でもそれが伝わらなかったらどうしよう?
と悩んでおられるわけですか?(笑)
逆にね「愛しているならこうするだろうな」と自分の中に価値観が出来上がっている場合に、相手がそれをしてくれないと不安になってしまうことってありますよね。
自分のことでごめんなさい。
でもつるひこさんのブログを読んでると、ドキドキしてしまいます
愛の表現法ってなんでしょうね。
私も知りたいです>_<
でもとりあえず、正直な気持ちで接するようにしています。完璧にしようとすると相手も疲れると思うので、こちらの弱い部分も見せて、相手のこともありのまま受け止めようとしています(笑)
相手をどこまで許せるか。
愛し合う、は、許し合う。
相手の何かを許せなくなったとき、
それは自分の愛がなくなったとき。
そうであるならば、
相手の欠点を責めるより、
自分の愛の不足を嘆こうじゃないか。。。
そういうふうに解釈しております。
天国らしきところに女神様がいて地球上の『愛の花』の面倒を見ているというもの。
「親子の愛」「恋人への愛」「ライバルへの愛」などなどのお花たち。花いっぱいの挿絵を見て、子供心に『愛ってこんなにいっぱいあるんだー』と思ったものです・・・。
特に秋は。
気恥ずかしさ万歳。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、また高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてに耐える。
愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう。わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。
わたしたちは、今は鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔を合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、わたしが神に知られているように、はっきり知ることになる。それゆえ、信仰、希望、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
高校がキリスト教だったんですよね。
で、結構好きな言葉があったりしたんですけど、これもその一文ですね~。
なーんとなしに今でも覚えてたので・・・。
キリスト信者じゃないですけど、聖書には良い言葉が多いです
>「お大切」と訳そうとしたそうです
わあ、なんだかすごくいい話ですね。
この訳者の気持ちがとても素敵だと思います。
そうかあ、「お大切」かあ…
しかし、つまり、そのころには「愛」って言葉は日本語になかったってことでしょうね。
なんだか、いろんな「愛」を「お大切」に置き換えると、見えてくるものがあるかも、って思いました!
>jeanneさん、ボンソワール
>ただ「強く抱きしめる」コト、「抱きしめたい」と思えるコト
僕の漠然とした言葉にど直球のコメントをありがとうございます。
これをためらいなくできるようになったら僕も大人になれそうな気がします…
やっぱり、「抱きしめる」とかそういうのは、本能に近いっていうか、100の言葉を超越することがあるかもなあ…って思います。
>みちにゃさん、はじめまして
コメントありがとうございます。
>「見守り、受け入れ、包み込む」
そうですね、きっとこれらを「ある対象に対して身体で表現」する方法のひとつが「抱きしめる」かもしれませんね。
もしかすると「地球を抱きしめる」ことがたとえば舞踏であったり、なんていうこともあるかもしれませんね。概念と具体化の間をなんども行き来して、人間は愛を表現しようとしているのかも…
>にこさん、ボンソワール
>と悩んでおられるわけですか?(笑)
…さて、どうでしょうね…(笑
>価値観が出来上がっている場合に、相手がそれをしてくれないと
それはとてもそう思います。
そして、たとえば男女間とか親子間とかでその意識が違うことでうまく伝わらない想いっていうのが、いかにもありそうだっていうのも悩みどころですよね。時間をかけて、後になって気づく想いもたくさんあるかも。
>kirakiraさん、ボンソワール
>彼氏ができました・・・
おめでとうございます。
なんとなく会ってみたい気がします(笑。
僕ってどういう感性なのかなあって、自分じゃよくわかりませんからね。
彼は一体どういう愛の表現をしてくれるんでしょうか…。