役所 信太のひとりごと。。。(カウントダウン365×4→0)

旅先で感じたことや報道など私的に思うこと

朝寝坊の一日・・・市電の環状と鮭節めんたい

2012年01月30日 20時22分07秒 | Weblog
今日は朝二度寝をしてしまい
気が付いたら昼前でした。

外に出てみると
微妙に気温が上がって来ました。

それでもマイナスの最高気温。

お昼に味噌ラーメンでも食べようと
お店を散策・・・。

なんだか急に・・・
味噌ラーメンより
熊本のタイピーエンが食べたくなったのでした。

味噌ラーメンのお店が増え過ぎて
どこが本場なのか分からなくなってしまいました。
有名なお店やガイドブックに載っているお店は
だいたい行ったことあるし
かといって
新しいお店もニセモノ札幌味噌ラーメンが多いように思う。
店主が関西人だったり・・・。
急に頭に
「養父(やぶ)医者」という言葉が浮かんで来ました。
養父医者といえば
ニセモノ医者の代名詞で使われますが
本来は名医のことで
誰もが掛かりたいお医者さんの名称だったのです。
時は江戸時代・・・
働き者の若い農民が原因不明の難病に掛かり
どこの医者もさじを投げてしまった。
そんな時
兵庫の北部養父地域にある
とあるお医者さんにわらをもすがる気持ちで
そこで治療を受けてみると
みるみる回復して
また農作業が出来るまで回復してしまった。
その“稀代の名医”の噂はどんどん広がり
養父には名医がいる 
そう言う風に世間では普通に使われるようになった。
しかし、
世の中には悪い奴がいて
ニセモノの医者が腕も無いのに
“養父”を標榜すれば患者が集まり儲かると考え
どんどんニセ養父医者が横行し
挙句の果てには
名医の養父はデマカセだったと噂が蔓延し
今日に至って
“養父医者はニセ医者、下手な医者”と使われるようになってしまったのです。
札幌味噌ラーメンも同じで
“札幌”を標榜していれば
誰もが本場のラーメンだと思う。
でも関西や関東の人がやって来て
お店を出している場合も結構あるわけで・・・。
悪いとは言いませんが
やっぱり
“どさんこ”のお店に行きたいです。
あこぎな商売をしているとは言いませんが
札幌味噌ラーメンを標榜するには
何か基準みたいなものが有っても良いような気がします。
ところで、
ウンチクついでに
“あこぎ”という言葉も
今では悪い意味で使われますが
本来は親孝行な息子の代名詞に使われていたものが
変化して現在に至っているのです。
時はこれも江戸時代・・・
三重県の津市に阿漕浦(あこぎうら)という場所がって
そこでは伊勢神宮に奉納する海産物を取る漁場として
一般の人は絶対に入れない浦があったのでした。
近くの村に漁師のせがれがいました。
母親が難病に罹り息絶え絶えになり
医者にかかるお金も無く
せめて何か栄養をと
漁場に出るも
季節が悪く魚が全く取れず・・・
母親の容体は悪くなる一方
わらをも掴む気持ちで
入ってはいけないと知りつつも
阿漕浦で漁をすると大漁、
母のため毎日魚を取りに阿漕浦へ向かうのでした。
母の病状が回復して来たある日
取りしまりのお役人に漁をしているところを見つかり
あっけなくお縄となり即死罪・・・。
病気の母が気にかかり幽霊となって
現世をさまよう姿を
多くの村人が不憫に思い
阿漕浦に塚を建て霊を慰めたのでした。
その話は瞬く間に広がり
この塚は親孝行な息子が眠るということで
多くの人が親孝行の代名詞として使っていた。
しかし、
噂がどこで変わってしまったか
死罪にしたことの方が強く伝わり
阿漕浦の親孝行な息子では無く
あこぎなお役人という話が強くなってしまった。
で、あこぎ は悪い意味で使われるようになって現在に至るのです。

そんなことを考えながら
札幌駅前の地下街に降り
温まっていると
新しい地下道が出来たようで行ってみる。
なんと
大通り公園まで繋がっているではありませんか。
しかも
30人31脚が出来そうなくらい広い。

札幌駅から大通りまで
屋根がある
しかも暖かい地下道で繋がった。
狸小路アーケードまで
雨にぬれずに行けるようになりました。

すばらしい。

感動です。

札幌市電も
すすきのから西4丁目までの50mくらいが
繋がって無くて環状になって無かったものを
繋げて環状線にする予算を次年度計上したようで
数年後には内回り外回りの環状市電になっているようです。

街を歩いていると
いろいろ目新しいものが目に入って来ます。
ある物産展でのこと
北海道なのに「からし明太子」がいっぱい展示
かと思ったら似て非なるもの「鮭節明太子」というものらしい。
羅臼地方の鮭の鮭節を出汁にし漬けた明太子
味が甘めで芳醇らしい。
魚の卵らしい自然な味で
今後特産品にして行くということです。

北海道の名産がまたひとつ増えそうです。


。。。。。