最近はどこも「エコロジー」が大流行で
何でも「エコ」という言葉を
冠しているように思えます。
エコ仕様や
環境に優しい、
環境に配慮した等・・・
病院の検査入院でも
エコベッド対応なる言葉が・・・・。
しかも
エコと付いた商品は従来型より
少し割高な商品も出ています。
この「エコ」という言葉は
私はとても大好きです。
地球に感謝し
環境のことに配慮することは
とてもすばらしいことだと思うからです。
今見ている新聞広告にも
エコの広告が・・・・。
そんな時 ふと 思いました・・・。
本当に環境のことを配慮するなら・・・
もっと違った意味で、
「エコ」という言葉が
使われるべきではないかと・・・
昨今の「エコ」は
商品の売れ行きのために使われるだけの
イメージ戦略・・・そんな要素が多すぎる感がします。
または
言い訳にするための
印籠言葉・・・
「エコ」は
そんな感じで使われていないでしょうか・・・。
以前は
エコロジーという言葉は、
本来の意味で使かわれていたのでしょう。
多くの人は「エコ」の名のもと
目の前の小さいことからコツコツと
環境に配慮しているならと
目に見えない効果にも
黙ってその活動を行なっていたはず。
それは大変重要なことです。
しかし、
いつしか
効果が目に見えないための不安が
「本当に今の行っていることが
エコにつながっているのだろうか・・・」
と
多くの人の心は
疑問に変わり
猜疑心が心を満たすようになり始め・・・。
そんな時
商売人がそこに目をつけ
「エコ」を理由に
値上げができると考え
いろいろな効用を目で分かるようにし
真偽のほどはさておき
環境にやさしいを前面に打ち出し
人々の猜疑心を解消させる方向に
気を向けさせることに成功したのです。
また
多くの人は、
「エコ」という言葉にだまされ
「エコ対応」と表記があれば
その商品を購入し
その商品の広告宣伝に踊らされ
それを買えばエコにつながると考えるようにもなった。
結局、浪費すれば
エコでなくなるということは棚上げになるのに・・・。
更に私は
街中の異常な光景を目にするのです。
その光景を見て
人は本当に「エコ」に対し
その重要性を認識しているかはなはだ疑問に思うのです。
それは、煌々と煌めくネオン・・・
街中の電気のこと・・・・。
今や
24時間営業の店や様々な電光看板など
夜間も昼間のような明るさで
光がとだえることがない・・・・
それらが当たり前となっている。
エコのことが
本当に気に掛けられているのでしょうか。
疑問です。
防犯の意味合いがあって
明るくしていると反論されそうですが
そうまでして
街中を明るくする必要があるのでしょうか。
この治安の良い日本で・・・。
深夜間に
マクドナルドを営業する必要が
私にはわからない。
昭和50年代
夜間はどこも真っ暗だった・・・。
それでいいと思うけど・・・。
現代社会では
電気はエコロジーとは
無関係な位置にあると考えるのだろうか。
私は
電気も無限でないことを考えれば
十分「エコ」の範疇だと思うのですが・・・。
少し考えてみれば簡単なことなのに
電気は何から生まれるか・・・
水力発電、
火力発電、
原子力発電・・・
火力は、
ほとんどが重油を燃やして発電しています。
二酸化炭素の排出はどうするのでしょう・・・。
十分環境問題です。
原子力は、
ウランやプルトニウム型がほとんどで
二酸化炭素の問題は考えから外せる。
が、しかし、
熱を冷ます冷却水の廃棄汚染水や核廃棄物のことは
どう考えるか・・・、
これもやはり環境問題に該当する。
日本国内に
17か所も原発が各地に存在し
核廃棄物の処理は
最終処分地はいまだに決まっておらず
中間処分場なる意味不明な場所も
保管に困り
地中奥深くや深海に捨てられているとのことです。
目の前のエコには
敏感に反応するけど
増える発電のための放出二酸化炭素や
核廃棄物等の問題は
エコとは無関係なのでしょうか・・・。
違うでしょう。
ただ・・・
残念なことに、
現代の経済活動を考えると
簡単に電力を削減することは
大変難しいことで・・・
なにせ
明るいことが
便利なことが
当たり前になっているから・・・。
たぶん
神戸の震災みたいに
自分たちが
突然、
災害の真っただ中に放り出され
今の暮らしがどれほどまでに贅沢をしているか
身にしみてわかれば
事態は変わるかもしれません・・・。
もしくは
原発がテロにあって大炎上し
放射線を放つ物質が飛散したら・・・、
原子炉が溶解して
チャイナシンドロームが現実味を帯びたら、
原発の正体も
もっと真剣に論議されることでしょう。
本物の「エコ」とは
エコ対応商品を買うことではなく
そういった隠れたことに
目を向けることなのではないでしょうか。
電気を多く消費する今の生活仕様や経済活動を
根本から見直すことが
エコの本来の姿では・・・
そんな思いが私にはあります。
でもやっぱり
もう一度
よ~~く考えてみると、
人間というもの
一度贅沢を覚えた人は
もう貧乏には戻れないのと同じように
電気のある生活が当たり前になった現在、
もう電気のない生活には戻れないでしょう。
良いのか悪いのか
日本の普通の家庭を見ていて
ある程度の贅沢な暮らしは
普段の文化的な生活の一部になってしまっているので
それを止めることは
もはや不可能な領域にまで来ている様に見えます。
だから
エコは・・・
まずできることは・・・と考える。
で、
出来る限り
省エネ対応製品にすることから始めよう・・・
「それが重要」
ということに
落ち着くのかなぁ・・・。
次に
電気スイッチをこまめに消すなど・・・
きっとそうなって行くのでしょう。
簡単には
人間は意識改革はできないものです。
無理だろうけど
生活仕様を
「夜は寝る、遊ばない」
そして
「電気を付けない」
などの思い切った意識革命が
一番のエコになるような気がする。
せめて
原子力発電を行う必要が
無くなるぐらい
電気を使わないようにしてしまう生活改善・・・
極論と言われるでしょうけど・・・
人間が一度覚えた贅沢を止められないなら
発想を変えて・・・、
他に何か違った発電方法が
あってもいいかもしれません。
雷発電、
竜巻発電、
風、
地熱、
田んぼのメタンガス、
他
再生可能な自然エネルギーを蓄電出来れば
一番良いのですが・・・。
朝からそんなことを
考えていました。
。。。。。
何でも「エコ」という言葉を
冠しているように思えます。
エコ仕様や
環境に優しい、
環境に配慮した等・・・
病院の検査入院でも
エコベッド対応なる言葉が・・・・。
しかも
エコと付いた商品は従来型より
少し割高な商品も出ています。
この「エコ」という言葉は
私はとても大好きです。
地球に感謝し
環境のことに配慮することは
とてもすばらしいことだと思うからです。
今見ている新聞広告にも
エコの広告が・・・・。
そんな時 ふと 思いました・・・。
本当に環境のことを配慮するなら・・・
もっと違った意味で、
「エコ」という言葉が
使われるべきではないかと・・・
昨今の「エコ」は
商品の売れ行きのために使われるだけの
イメージ戦略・・・そんな要素が多すぎる感がします。
または
言い訳にするための
印籠言葉・・・
「エコ」は
そんな感じで使われていないでしょうか・・・。
以前は
エコロジーという言葉は、
本来の意味で使かわれていたのでしょう。
多くの人は「エコ」の名のもと
目の前の小さいことからコツコツと
環境に配慮しているならと
目に見えない効果にも
黙ってその活動を行なっていたはず。
それは大変重要なことです。
しかし、
いつしか
効果が目に見えないための不安が
「本当に今の行っていることが
エコにつながっているのだろうか・・・」
と
多くの人の心は
疑問に変わり
猜疑心が心を満たすようになり始め・・・。
そんな時
商売人がそこに目をつけ
「エコ」を理由に
値上げができると考え
いろいろな効用を目で分かるようにし
真偽のほどはさておき
環境にやさしいを前面に打ち出し
人々の猜疑心を解消させる方向に
気を向けさせることに成功したのです。
また
多くの人は、
「エコ」という言葉にだまされ
「エコ対応」と表記があれば
その商品を購入し
その商品の広告宣伝に踊らされ
それを買えばエコにつながると考えるようにもなった。
結局、浪費すれば
エコでなくなるということは棚上げになるのに・・・。
更に私は
街中の異常な光景を目にするのです。
その光景を見て
人は本当に「エコ」に対し
その重要性を認識しているかはなはだ疑問に思うのです。
それは、煌々と煌めくネオン・・・
街中の電気のこと・・・・。
今や
24時間営業の店や様々な電光看板など
夜間も昼間のような明るさで
光がとだえることがない・・・・
それらが当たり前となっている。
エコのことが
本当に気に掛けられているのでしょうか。
疑問です。
防犯の意味合いがあって
明るくしていると反論されそうですが
そうまでして
街中を明るくする必要があるのでしょうか。
この治安の良い日本で・・・。
深夜間に
マクドナルドを営業する必要が
私にはわからない。
昭和50年代
夜間はどこも真っ暗だった・・・。
それでいいと思うけど・・・。
現代社会では
電気はエコロジーとは
無関係な位置にあると考えるのだろうか。
私は
電気も無限でないことを考えれば
十分「エコ」の範疇だと思うのですが・・・。
少し考えてみれば簡単なことなのに
電気は何から生まれるか・・・
水力発電、
火力発電、
原子力発電・・・
火力は、
ほとんどが重油を燃やして発電しています。
二酸化炭素の排出はどうするのでしょう・・・。
十分環境問題です。
原子力は、
ウランやプルトニウム型がほとんどで
二酸化炭素の問題は考えから外せる。
が、しかし、
熱を冷ます冷却水の廃棄汚染水や核廃棄物のことは
どう考えるか・・・、
これもやはり環境問題に該当する。
日本国内に
17か所も原発が各地に存在し
核廃棄物の処理は
最終処分地はいまだに決まっておらず
中間処分場なる意味不明な場所も
保管に困り
地中奥深くや深海に捨てられているとのことです。
目の前のエコには
敏感に反応するけど
増える発電のための放出二酸化炭素や
核廃棄物等の問題は
エコとは無関係なのでしょうか・・・。
違うでしょう。
ただ・・・
残念なことに、
現代の経済活動を考えると
簡単に電力を削減することは
大変難しいことで・・・
なにせ
明るいことが
便利なことが
当たり前になっているから・・・。
たぶん
神戸の震災みたいに
自分たちが
突然、
災害の真っただ中に放り出され
今の暮らしがどれほどまでに贅沢をしているか
身にしみてわかれば
事態は変わるかもしれません・・・。
もしくは
原発がテロにあって大炎上し
放射線を放つ物質が飛散したら・・・、
原子炉が溶解して
チャイナシンドロームが現実味を帯びたら、
原発の正体も
もっと真剣に論議されることでしょう。
本物の「エコ」とは
エコ対応商品を買うことではなく
そういった隠れたことに
目を向けることなのではないでしょうか。
電気を多く消費する今の生活仕様や経済活動を
根本から見直すことが
エコの本来の姿では・・・
そんな思いが私にはあります。
でもやっぱり
もう一度
よ~~く考えてみると、
人間というもの
一度贅沢を覚えた人は
もう貧乏には戻れないのと同じように
電気のある生活が当たり前になった現在、
もう電気のない生活には戻れないでしょう。
良いのか悪いのか
日本の普通の家庭を見ていて
ある程度の贅沢な暮らしは
普段の文化的な生活の一部になってしまっているので
それを止めることは
もはや不可能な領域にまで来ている様に見えます。
だから
エコは・・・
まずできることは・・・と考える。
で、
出来る限り
省エネ対応製品にすることから始めよう・・・
「それが重要」
ということに
落ち着くのかなぁ・・・。
次に
電気スイッチをこまめに消すなど・・・
きっとそうなって行くのでしょう。
簡単には
人間は意識改革はできないものです。
無理だろうけど
生活仕様を
「夜は寝る、遊ばない」
そして
「電気を付けない」
などの思い切った意識革命が
一番のエコになるような気がする。
せめて
原子力発電を行う必要が
無くなるぐらい
電気を使わないようにしてしまう生活改善・・・
極論と言われるでしょうけど・・・
人間が一度覚えた贅沢を止められないなら
発想を変えて・・・、
他に何か違った発電方法が
あってもいいかもしれません。
雷発電、
竜巻発電、
風、
地熱、
田んぼのメタンガス、
他
再生可能な自然エネルギーを蓄電出来れば
一番良いのですが・・・。
朝からそんなことを
考えていました。
。。。。。