歌手やーい!ただし移調譜が正しく書ける人

ピアノ奏法の研究をずっとしてきたのよ!私は!

今日の夕食

2021-03-18 | 日記

朝から、何を食べようか、ずっと、考えていた。みそ汁お餅か、スパゲティーミート―ソース(ルーは作ってある)

迷っていたら、夕食の時間になった。やっと、決まった、播州うどんにピーマン卵焼き(塩のみ)をのせて、油揚げ(油抜きは省略)もう、面倒過ぎる。

ピーマンは、生でも食べれるので、あまり火を通さなくても、卵液を流した後、置くだけで良い。《置くだけ!》この言葉も耳にタコが出来るぐらい聞いたが、置くだけだと、指は鍛えられない、前にも後ろにも動かない、どうやって動かすかが、わからなかった。

私は【落とすのよ!】【置くだけ!】これらを、ずっと、謎を解く、ピアノ奏法人生だったが、私にふさわしかったかもしれない。どうせ、暇だし、結構楽しかった・・・

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映画の感想

2021-03-18 | 日記

「アルマゲドン」→吹き出した。

`鉄腕アトム’のラストのひねりバージョンだっただけ、別に、何とも思わなかった。それより、パソコンでDVDが観れない事や、印刷も出来なくなってしまった方が気になる。もちろん1.2週間前にサポートに電話をして、尋ねているが、内容が消える可能性があると言われて、躊躇している。スコアメーカーで作った自作曲が消去されたら、困るからである。この部分だけ、バックアップしたいが、それも難儀で、そうするうちに、炬燵の電気が切れてしまって、お得意の巻のコード何種類を試しても、全部駄目だった。

明日、全部コードも炬燵も捨ててやる!何センチ以上は粗大ゴミだから、分解する。

いつも便利の恩恵を享受しているから、面倒は仕方がないにしても、気分が滅入る。❞人生はサバイバル❞の気持ちを強く持たないと、出来ない。やる気が出ない。そんな中、エレクトーン練習は少しだがしている。こんな時は、ピアノより、エレクトーンの方が気分が良い。クラシックより、ポピュラー曲の方が、弾く気分になる、練習4曲中、1曲(オンブラマイフ)だけはクラシック曲である。やっぱり、私はあまりクラシック音楽が好きではない。

ピアノも練習しようかしら?ワルツを練習しよう。ワルツにも、ウィンナーワルツや色々あるらしい。音楽家の説明がわかったためしがない。私が馬鹿だって?説明出来ないお前の方が、馬鹿なんだろ?

 

 

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気付く

2021-03-17 | 日記

レッスン室に居たら、なんか機械が一捻りした音がした。水道水に何か混ぜたんちゃう?と思ったら、案の定、水道水が石鹸臭い。

でも、市民はどうする事も出来ない。水道局もわからない。水道局の場所が移動したり、行きにくくなったり、水道局員と話も全然噛み合わない。なんか、奇妙な横柄な態度を見せ付けられるだけである。肝心の国民は水道の知識など、皆無、やがて、天の裁量が降りるまで、じっと、我慢するしか方法がない。それまで、持ちこたえるのみ!

だから、やがて,みんな亡くなる。

初めて、ガ―シュインの`ラプソディ・イン・ブルー’をまともに最後まで聞いた。ピアニストは角野隼人さんで、ピティナピアノチャンネル2019だったが、出だしのクラリネットに惹きつけられて、角野さんのピアノも大変素晴らしく、最後まで聞いてしまった。こういう曲は、実は私は苦手だったのに・・・

お菓子ばかり食べて、動けない。

憎しみは、すさまじい。(何の憎しみかは、察して欲しい)

CIAと手を組む連中は信用しない事である。死刑囚でさえ、最後は後悔と反省をして、悟りに近い心境になって、刑を受け入れるらしい。でも、こういう何かと手を組む連中は、そういう心境とは、いつまでたっても、程遠くて、どうなのだろう。よくわからないが・・・

凄まじい憎しみを浴びせられて、多くの人が亡くなっている。残して置いてほしかった人もいる。この人を残して置いたら、正しい方向に、人類を導く一員になってくれるだろう。そういう人が亡くなるようでは、間違っていると思う。

今井ゆうぞうさんの死は残念である。「ぼよよん行進曲」は、今井ゆうぞうさんをたたえて、私もきっと、いつか演奏する機会を持ちたいと、強く思っている。それは「海の日」にする。といっても、どっかの片隅で、ひっそりと演奏する。

 

 

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「第4の国難」 前野徹著

2021-03-17 | 日記
 第四の国難
前野徹・著  扶桑社
 
 
 耳も目も覆い隠されて改造された日本

 戦後のアメリカの日本統治はリペラルだったと考えている人がいるとしたら大間違いである。GHQは、表向きは報道、言論の自由を掲げていたが、言論の自由などかけらもなかった。
 GHQの厳しい言論統制によってすべて検閲が行なわれ、アメリカに不都合な記述は一から書き直させられるか、発禁処分になった。例えば先に述べたようにルーズベルトを告発したチャールズ・ビアード博士の『ルーズベルト大統領と第二次世界大戦』はGHQによって発禁処分にあったし、GHQ労働局諮問委員会のメンバーとして来日した歴史学者、ヘレン・ミアーズがアメリカ占領政治の欺瞞を暴いた書、『アメリカの鏡・日本』も、執筆された昭和24(1949)年にGHQによって翻訳・発行を禁じられている。
 占領軍の情報操作・言論統制は、占領統治が始まると同時に実施された。昭和20年9月、GHQは日本の新聞や雑誌、書籍、放送などマスコミ関係者に向けて、「プレスコード」なるものを発表した。プレスコードは日本語では「新聞規約」となっているが、「連合国占領軍に対し、ネガティブな(マイナスになるような)批判を加えたり、占領軍に対し、不信もしくは怨恨を感じさせるような事項を掲載(もしくは放送)してはならない」とある。要するに情報の統制である。
 さらにGHQは10月になると、一切の報道内容について事前検閲を行なうことを決定、検閲要領の細則を各新聞社や出版社に通達し、検閲体制を整えた。これによって、反米的な情報、とりわけ東京裁判と原爆投下に関する批判は厳しく禁じられた。
 日本の無実を主張したパール判事の意見書ももちろん、その内容は一言も報道されなかったばかりか、その存在さえ伏せられた。
 戦時中の日本の言論統制は、まずい個所を墨で消すというものだった。しかし、前後の文章は残っているので、少し推察すれば何が書いてあったかおおよそ見当がついた。
 対してGHQが行なったのは完全な言論の統制である。検閲の第二条では、「検閲があった事実を言ってはならない」「検閲の痕跡を残してはならない」と定めている。この取り決めによると、一部だけを消すわけにはいかないので文章全体を書き直すというわけである。
 東京裁判に関しても、このルールが適用され、東京裁判に関する論文は、論理一貫するようすべて「正しい裁判だった」と結論づけられた。これを占領期間中の7年間もやり、徹底的に日本人の洗脳を行なったのである。
 日本のメディアもだらしなく、どの新聞もGHQの徹底した言論統制・検閲に反発せず、むしろ、手先となって国民の洗脳に手を貸した。マッカーサー総司令部が行なったこの一連の日本人の洗脳は、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」なる「戦争贖罪意識宣伝計画」に基づいていた。その派手な演出が東京裁判であり、占領軍憲法(現在の日本国憲法)の制定だった。
 こうして、日本人の精神改造を着々と進める一方で、GHQは憲法だけでなく、教育も作り替え、日本の解体を実現していったのだった。

★なわ・ふみひとのコメント★
 
いまもなおアメリカ(を裏から支配している勢力)によるこの国の言論統制は続いていると見られます。また、中国を初めとするアジアの国々からも、政治家と同じようにマスコミ人に対してさまざまな働きかけ(誘惑・脅迫)が行なわれ、自分の国の利益につながるような、つまり日本の国益に反するような報道をさせられているのです。最近では朝日新聞を筆頭とするマスコミの「フェイク・ニュース」が指摘されるようになってきましたが、「何が報道されたか(重視されているか)」ということとあわせて、「何が報道されないか(軽く扱われているか)」ということも、マスコミの偏向ぶりを見る上で大事なポイントとなります。
 
 
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アメリカだけではなく、中国もロシアもイギリスも、みんな怖い。

昨日は魚を焼いて食べたら、ハエが家の中に入って来た。

DVDを2本借りて来ました。【ゼロの未来】【アルマゲドン】

’ゼロの未来’ 映像も内容も呆れて、物が言えん!こういう映像を観ると、日本の方が余程、美しい。内容も私的には嫌な感じなのよ!″浅薄”この言葉がぴったりである。

’アルマゲドン’まだ、観ていない。

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夢にうなされる

2021-03-16 | 日記

変な夢を見た。岩の上に10名ぐらい人が居て、変な命令を出されて、困惑して、踊り出したか、何かで、どちらも、男だったと思う。うなされて、布団が半分ずり落ちていた。

寝る前は、あんかに電気が通っていなくて、困ったが、でも、短時間でも、熟睡は出来たようだ。

坊さんは10時だったはずだが、20分ぐらい早めに来て、10時頃に、お経が済んで、帰られた。兄は相変わらずだった。

有田焼の湯飲みが出て来たので、ブログにも載せたいので、今日は、珍しくお茶を出そうかしらと思ったが、その間もなかった。輪島塗の箸も行方不明、どこへ置いてしまったのだろう。

無駄遣いばかりして、品のない服ばかり買っているかもしれない。でも、無駄も必要だと思う。わかるから!こういう色やデザインは自分に合うとか、合わないとか、色々、車輪が動き出しそうにはなる。550円の2点セットのジャンバースカートは、大きいので、エレクトーンを演奏する時にだって、着れる事がわかった。足が広げられるから、ボタンの位置が、なんか妙な服は、今まで着ていなかった上着を羽織る事で、解消される。

本当に、私はおとなしいと思う。家にこもるなら、任せなさい!食べて、寝て、洗面する。これだけが人生である。でも、成果が上がり過ぎである。

誰でも、なんとなくは、わかる事であっても、説明が出来ないのであろう。私は説明が出来るが、少々、燃料切れである。

動画を撮るのも、疲れてきて、時期とタイミングが来ない事には、よっこらしょ!と腰が上らない。

10年以上も前、まだ、宗教会員だった頃、富士聖地のピラミッドに入って、瞑想をした事がある。ブーメランが自分に返ってくるのが、はっきり見えた。それから、父か、男の神様が、私をおぶって、天の方へ歩いて行った。でも、私は否定をした。ブーメランが返って来る程の悪い事なんて、していない。これは、私の事ではないと思って、無視をしたから、あれから、何十年かかっているのだろう。10年は裕に超えていると思う。あの時、素直に、そう思っていたら、感謝の祈りに変えていたら、こうは長引かなかったかもしれない。

でも、何事も時期がある。時期が来るまでは、決して、わからない。だから、これで良かったと思う。

 

 

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