Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

背半纏

2006-01-14 12:10:55 | ひとから学ぶ
 寒いとどうしても外へ出るのが面倒になる。だれしも思うことであるが、だからといって家の中にずっといるわけにもいかないし、ましてや仕事となるとそうもいかない。仕事で積雪が50センチもある世界で1日中いるというのは、ふだん屋内で仕事をしていてたまたま出るともなると、同じように気は重いものである。ところがしっかり暖かい装備をして外で体を動かしていると、そんなイメージとは異なり、なかなか快適なものである。寒いどころか体をうごかしているから暑いくらいである。どの程度体が動いているかによっても、その感覚は違うから、仕事をしていてもあまり動かない役目を担っている人と同じとはいえない。でも、それなりに準備さえしていれば大丈夫だと、現場に出て認識していても、また、屋内でしばらく仕事をしていると、忘れてしまってそとへ出ることが億劫となる。「こんな雪が降っている中で現場に行くの」という言葉を、よくかけられる。そして現場にいても地元の人たちに「雪の中大変だなー」なんて声を掛けられる。昔だったら「ちょっと寄ってお茶でも飲んでいきな」とか、「ストーブにあたっていきな」なんてよく言われたが、このごろはそんな言葉を掛けてくれる人もいなくなった。それどころか、「何してんだ」みたいな目で見られて、気を使うばかりだ。厳寒の世界だからそうも人は外に出ていないからよいが、そうはいっても雪の中で、足跡もないような世界でごそごそやっていると人の目はきびしい。
 このごろ行った現場で、車を止めるところがなくて雪をかいていたら、近くで雪をかいていたおばあさんが「大変だなー」といってミカンを持ってきてくれた。「寄ってくれりゃーいいんだが、忙しそうだで持ってきた」という。このごろにはない言葉に、ありがたかった。世の中が世知辛くなっていると、こっちもあまりこんなふうに声を掛けられるのが苦手になっている。人が寄ってくると、何か文句でもいわれるんじゃないかと考えてしまう。人間へぼくなっていると、つくづく思ったりする。
 さて、この寒さで、近年はあまり使わなかった背半纏を利用している。背中だけ当ててくれる綿入り半纏で、薄手に作ってあるから、作業着の下にも着れる。だから見た目は付けているかどうかわからないほどで、ウォームビズなんていって室内温度を低く設定する環境にはよいかもしれない。この背半纏は、10年ほど前に、下伊那郡天龍村の温泉、お浄めの湯で売っていたものを買った。地元のおばあさんが作ったというものを売店で売っていたのだが、縫い方はおばあさんが手で縫っているということもあって頑丈ではない。しかし、前述したように上着の中に着れそうだということで、妻が最初に手を出した。あとで聞いてわたしも売店に戻って買ったのだが、さすがに余った布で作っているようで、とてもおしゃれな布地ではない。それでもと思って買ったのだが、しばらくはよく使っていた。妻はその背半纏を友人たちに見せたところ、友人たちも気に入ったようで、その一人が型をとって、同じように作ったといい、みんな農作業をしている人たちだから、今も有効に使っているという。当時、80歳くらいのおばあさんが縫ったものだという話を聞いたから、今はお元気なのかどうか。この背半纏にそっくりなものを、おばあさんの住んでいた神原で見たことがある。それは、日除けのミノである。昔は夏場の農作業などてよく利用されたもので、ちょうどそのころの夏に、お浄めの湯から登ったところにある向方(むかがた)集落でこのミノをつけて草むしりをしているおばさんを見たことがあった。そのミノの形に背半纏はとても似ているのである。型をとって作ったという妻の友達に倣って、妻にももう少し今風の背半纏を作ってほしいと思うが、今使っている背半纏にも、そんなおばあさんの地域での経験が受け継がれているようで、今のところはそれを大事に使うこととする。

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