Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

昭和62年の記憶④ 下栗の霜月祭り

2021-01-03 23:30:04 | つぶやき

昭和62年の記憶③ 南相木村の獅子舞より


 昨年「下栗の霜月祭り(昭和61年の記憶⑫)」を記した。下栗には昭和62年にも訪れている。3日は中学時代の友人の結婚式のための実行委員会があって、友人の家を訪れていた。午後訪れると暦が変わるころまで友人の家に滞在した。その足で友人も誘って下栗に向かっている。したがって4日午前3時ころ下栗についており、すでに表の登場となっていた。

 前年はモノクロの撮影だったが、この都市はリバーサルフィルムで1本撮影したあとに、モノクロに変えている。

 下栗には39面のオモテがある。ほかの神社にくらべて数が多いのは、明治時代に共有山をめぐる争いから、拾五社から分離して屋敷の津島牛頭天王社に二分された。その際に分社した側で新たにオモテを作って霜月祭りを始めたといわれ、後に大正時代に入って和解して再び拾五社で一緒に祭りを行なうようになって合わせて行なわれたためにオモテが2社分あるというわけである。よそにない特徴的なオモテが龍頭である。

子安明神

 

火王

 

水王

 

赤崩大明神

 

山神

 

金比羅

 

秋葉神

 

拾五社明神

 

稲荷

 

拾五社 神太夫と婆

 

天王社 神太夫と婆

 

龍頭

 

拾五社 宮天白

 

天王社 宮天白 (以上昭和62年1月4日未明撮影)

 

昭和62年の記憶⑤ 辰野町デーモンジ


コメント    この記事についてブログを書く
« 昭和62年の記憶③ 南相木村の... | トップ | いとも簡単に・・・ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つぶやき」カテゴリの最新記事