Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

答えの出ない社会

2008-06-13 19:24:02 | つぶやき
 福田首相の問責決議が参議院で可決された。初めてのことというが、最近の国会ときたら初めてのことをいとも簡単にやってのける。なぜそれが実行されるかといえば、政権奪取のためになりふり構わないところがあるからだ。加え世論というものを政治にどう繁栄させていくかというところは、政治家にもなかなか見えていないような気がする。そんな見えない世界で政権奪取へ向かっているから、わたしたち国民は振り回されているようで、実はあまり関心かなくなってきている。「初めて」という重大さなど気にもならなくなってきていて、このところは秋葉原の事件がそんな報道を薄めている。野党三党は今後衆議院、参議院共に国会の審議に応じない予定という。「またか」という感も否めない。最近の国会議員はおおかたこんなことばかりしていて、税金を使って何の仕事をしているかといえば、税金で喧嘩をしているということだ。なるほど暴力団抗争を上回る無駄な喧嘩である。それでもいつかは選挙がやってきて、「投票してください」とこれまた税金を使って末端の役人が連呼する。よくも無駄なことをたくさんやったものだと思うばかりで、そんな体質?、というか世情に病は深まるばかりだ。どこかでそんな無駄な行動を省きたいものだが、またそんな無駄な行動のために銭を稼いでいる人たちも増えていて、情けないが悪循環は積算されていく。

 そういえば同じような流れが会社にも流れている。政権奪取を試みるどこかの党首と同様に、わが言葉=正論という図式で会社を乱す輩(部署長)がいる。部下に迷惑をかけるくらいならよいが、部外者への言動の恥ずかしさはときに同じ空間にいることをためらわせる。機嫌の良否で反応が異なり、自らのことを指摘されることをとても嫌がる。したがって人に対して差別がでる。常識外だとまわりは思っても、本人はまったくそうは思わない。ワラ人形で呪い殺そうなどという冗談まがいの話がささやかれる。それでも耐えている部下が利口なのかそれとも馬鹿なのか、きっとそんな葛藤すら無益だと感じる。死ななくては直らないと囃されるが、それも納得できるほどの人物だ。にも関わらずそんな人でも会社の中央にいる。ダメ会社を看板にしているような存在だ。そんな空間に人は育たない。誰もが自らを大事にし、人との調和どころか会話そのものが否定されていく。通り魔が行く世界とそれほど変わりがないように見えてくる。わが社にも非正規雇用者がいるが、正規雇用者との仕事には差がある。まだそうした役割分担があるとともに、そうした人たちに無理強いをしない意識があるからよいものの、この部署長の考えは違う。「使えるものは使え」的な発想である。こんな空間で人並みの暮らしをしようとするのは不可能だ。通り魔が出ないだけ秩序は守られているのか、それともそれを超えるほどに他人に対して無関心で考えもないのだろうか。不可解な事件の起きる社会の方がまともだということを知る。

 国会もわが社も、どちらも会話をもって解決しようという具合にはならない。もちろんかたちばかりの会議が開かれても、なんら答えは見えない。住民参加をうたうこの時代にあって、実はそこから答えがなかなか出せない社会になっているわけだ。

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