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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

村井長野県知事の始まり

2006-09-02 16:28:19 | ひとから学ぶ
 昨日は、村井長野県知事の初日であった。おとといは田中長野県知事の最後の日。知事が変わるということは体制が変わるということでは大きな転換期である。田中新知事誕生の際にも大きな期待があったが、現実の政策が打ち出されるほどに、これほど変わるものなのか、といことをまさまざと見せられてきた。その現実をみんな知っているから、違った方針を打ち出している村井新体制下で、またいろいろ変わっていくと思うのは普通なのだろう。「知事が変わる」という現実がそれほど大きなものなのだということも、いってみれば田中康夫が教えてくれたのだ。その転換という現実が、選挙の結果から生み出される、その選択権を与えられているわたしたちは、それぞれに選挙の重さを認識しなくてはならない。「誰がやっても変わらないから」とはよく言うが、それぞれに「何」が変わることで「変わる」の判断なのかは違う。安易に使う言葉であり、また前向きでない言葉の象徴でもある言葉だが、実は長野県はそんな「変わる」ことの選択を田中康夫知事就任以来体感してきたわけだ。田中体制がどうあれ、それを体感させてくれたことには感謝をしなくてはならないのだろう。

 田中長野県知事退任の日に、見送る県庁職員はそれほど多くなかったという。最終日にガラス張り知事室を解放するなど、田中康夫らしさも垣間見えたわけだが、県庁内においての田中知事とは何だったのか、県民にはよくは見えなかった結果だろう。県職員、とくに県庁職員と融合できていなかったことは、ひとつの失策だったのかもしれない。近くに寄ればよるほどに、好き嫌いのはっきりする人物だったのかもしれない。だからこそ、泰阜村長が言うように、悪い面を差し引いても評価できるというくらいの大きな心がないと支えられなかったのかもしれない。公共性を重視する公務員に、そういう大きな心を持って社長を支えろと期待するのも難しいだろう。やはり、県知事という立場で活躍するには土俵が小さすぎた、ということではないだろうか。もう少し違う場面で活躍の場があるはずだ。

 そう評価したいのだが、任期切れの委員の後任に田中康夫の息のかかった人たちをこの時期にわざわざ任命していたり、今後も「長野県から」というような印象の言葉があったりして、もっと割り切って国政に行けばよいのに、と田中知事時代を引きずっているようで残念だ。

 そのいっぽうで村井新知事は、知事の退職手当を受け取らないと述べ、田中前知事に支給される手当てに対して批判するような言葉を就任と同時に発言している。もともと田中前知事が退職手当を引き下げようとしていたが、県会を通らずにそのままとなっていた。けして退職手当が悪いわけではない。知事として働いた以上は、その報酬として手当てを受け取るのは当たり前である。それをこと田中前知事が受け取る額だけがクローズアップされて、それに対抗したように「受け取らない」を発声するのも意図的で、聞いている側は「違うことを言えよ」と思ったりする。知事選の間に見せていた村井仁という人の顔と、最近テレビでコメントしている村井仁という新知事の顔はちょっと違う、そんなことを思うのはわたしだけではないだろう。もちろん、知事になることが決まれば、顔つきが変わってくるのも当たり前であるとは思うのだが、不安も多い。

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