Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「神願様」後編

2022-01-05 23:41:32 | 民俗学

「神願様」中編より

 

 神願様については中崎隆生氏によって『伊那路』633号に2009年の例が報告されている。ジャについては蛇なのか竜なのかはっきりしないと述べている。当時製作責任者であった小池さんは、今年も変わらず責任者として神願様作りを誘導されていて、同じように蛇なのか竜なのか、というあたりについて言及されていた。小池さんによれば、頭の形は蛇だが、胴体は竜を模しているという。どちらとも捉えられる姿だが、呼び方は「ジャ」である。全国的に藁蛇の作り物は事例が多く、同じように蛇か竜か、という議論になる例も多い。胴体を竜と見る根拠は、藁の端を立ち上げて鬣とみなす部分だろうか。その鬣に挿されるオンベは、山形に中央を高くし、サイドに向かって低く整えていく。このあたりの姿は竜というより恐竜形といっても良い。『伊那市寺院誌』ではこれを鬣ではなく「ヒレ」と言っている。

 中崎氏は柳の小枝12本を荒縄で結んだものを「わらじ」と証しているが、小池さんは「ハシ」と表現されていて「わらじ」とは言われなかった。同様に『伊那市寺院誌』にはこれを「柳の楊枝」と称しており、「八本を藁で編み重ねて」と述べていて、12本ではない。昔は12本ではなく8本だったのか、はっきりしない。この柳の小枝を連ねたものをジャの鬣に掛けていくのだが、同じように合わせて掛けるすべ縄は、丸く手繰ってあり、左右に掛かるように2連になっている。あえて丸く手繰っているあたりに、何を思い描いた形なのかが疑問となる。実は最近年の神願様に掛けられるすべ縄は、円形がばらついていてはっきり丸くなっていないが、過去の写真を見ると、しゃもじ形に綯われているようにも見える。やはり何かの形を模していると考えられる。もしかしたら草鞋を意図しているのかもしれない。

 祈祷札については今年降ろされたもの、今年あげられたもの、それぞれを表と裏について並べて撮影した。基本的に同じことが書かれており、それは中崎氏が報告された2009年のものと同じである。

 

 

 さて、2年ぶりだったということもあり、今年は完成まで少し時間を要した。午後3時ころには完成し、休憩をとったのち、午後3時半から神願様作りをした客殿において、魂入れにあたる供養が住職によって行われた。九字を切り、読経に入るが、簡単ではなくしっかりと時間がとられた。終了すると製作された見なさんを前に住職より感謝の言葉があり、いわゆる葬儀後にお言葉を述べるのと同様に今年の神願様の様子や、世間の情勢なども織り交ぜられみなさんにお礼の言葉が述べられた。いよいよ客殿から運び出され、軽トラックに載せられると、参道を下り、入り口のさわらの大木に吊り下げられる。昔はさわらの木に縛り付けたのだろうが、今はワイヤーが掛けられていて、吊り上げるのにもそのワイヤーを引いてあげるようにしている。神願様は表を寺の外に向けてあげられ、終わるとその表側にみなが並び再度住職によって読経があり、神願様の祭りは一切を終える。

 この作業をされるのは寺の関係地に住まわれていた地類の方たちで、件数が少ないため、総代の方たちも加わって行われている。寺は製作場所を提供するが、製作に手を出すことはない。ただオンベと祈祷札は住職が用意されている。この日神願様終了後に修正会が行われるが、もともと神願様は8日にあげられていたことから両者は無関係ともいう。しかし、近江の例を見ていると、まったく無関係なのかどうか、正月の一連の行事だったとも見える。

終わり


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