Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「○」を刻んだ庚申塔

2022-01-06 23:42:50 | 地域から学ぶ

 

 駒ヶ根市東伊那は天竜川左岸にある。天竜川に架けられている大久保橋は最近架けなおされた。その橋を見下ろす位置に筥石神社がある。境内にある石碑群の中に庚申塔があり、「奉請庚申塔」という文字碑が2基、「庚申供養塔」の1基、そして「庚申塔」の1基、計4基に「○」が文字の上に刻まれている。「奉請庚申塔」は元禄16年(1703年)、「庚申供養塔」は元文5年(1740年)、「庚申塔」は寛政12年(1800年)と、いずれも古い建立年を刻んだものである。ちなみに駒ヶ根市内出は元禄4年(1691年)銘のものが最も古く、元禄期のものが18基あり、この時期に庚申塔の建立が始まっている。

 「○」について竹入弘元氏が『伊那谷の石仏』の中で触れていて、伊那谷には「○」を彫った石碑が多く存在するようだ。種別では庚申塔13、念仏・名号塔7、月待塔5などである。やはり庚申塔が多いようだが、その年代別では元禄から宝永にかけてのものが11基と最も多い。地域別の駒ヶ根市東伊那に2基とあることから、この筥石神社の庚申塔は漏れているかもしれない。それだけ「○」を刻んだ石碑が多いということなのだろう。竹入氏は『石仏事典』の説明を引用し「禅宗では○印を頭部に置く」を紹介している。そして「太陽か月輪あるいは地球・宇宙を表す」、あるいは「仏教でいう空あるいは輪廻といった観念の象徴であろうか」と述べている。

 前面に立つ「奉請庚申塔」の2基は前述したように元禄16年、それも「三月十五日」と同じ日に建立されている。刻字からみても同じ人が刻んだと思われ、なぜ同じ日に2基建立されたものなのか。


コメント    この記事についてブログを書く
« 「神願様」後編 | トップ | 電池の交換 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

地域から学ぶ」カテゴリの最新記事