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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「神願様」中編

2022-01-04 22:19:33 | 民俗学

「神願様」前編より

 近江の勧請縄については多様な姿を見せる。例えばそれらは「越天楽」さんの「勧請縄」にいろいろな勧請縄が紹介されている。これら勧請縄はそれだけではなく、山の神とのかかわりを持ったものもあり、そもそも神願様は山の神とは無関係なのかどうか。

 

蒲生郡日野町熊野神社勧請縄(昭和64年1月3日撮影)

 

 昭和46年1月3日滋賀県蒲生郡日野町熊野の熊野神社を訪れた。隣の平子と熊野のシュウシ仲間16名によって社務所で大注連縄作りが行われていた。16名は着物に袴を着用した正装である。午前中かけて作られた大注連縄は、昼ごろ鳥居の内側にある杉の大木に結ばれて張り渡される。縄には上向きに12本の御幣が挿されるが、これを「十二の星」という。縄の下には12本の枝と紙垂を下げる。やはり閏年には13本つけるという。注連縄を木と木の間に張り渡し、縄に12本の御幣、そして垂れるように枝をつけるのは、羽広ではハシに代わるのだろうか。あるいはすべ縄に代わるのか。

 近江の勧請縄では御幣の数は3つであったりつかなかったりと、場所によって少し形は異なるよう。注連縄の下に枝を垂れるように下げるところは多いようだが、前述したように羽広でもハシにしてもすべ縄にしても垂れるように掛けられる。そして真ん中に祈祷札が掲げられる例は、近江でも多い。

 

蒲生郡日野町杉大屋神社山の神(昭和64年1月3日撮影)

 

 いっぽう同じ日野町杉にある大屋神社にも同日訪れている。ここでは拝殿において杉、杣、川原の戸主か総出で苞と大注連縄を作っていた。3地区で総勢150名ほどが奉仕するのだという。2把の稲束を4遍返しにして川原の玉石を入れて手さげつきの球形の苞を作り、フクラソウの青葉をそえる。1個は山の神に捧げもう1個は自宅へ持ち帰り柿の木などにさげるという。大縄が出来あがると年寄りの一人が縄を両手で測り、「一尋・三尋…十二尋・十三尋、ワセ・ナカ・オクテ豊年でございます」と大声で呼ばう。その後榊を持つ神主を先頭に、枹の木の双体神を三宝に載せて持つ社守と、山の神餅を持つ氏子総代に引き続いて8メートルほどの大注連縄をかつぐ人々が、近くの山の神の森へ向かう。そして2本の神木の根に大注連縄を2回めぐらし、枹の木を横に置く。村人は路上に横一列に並び、神主が祝詞をあげ、社守・総代らが参拝する。社守が三宝の餅を持って森の北東のアキの方角の田の畔へ行き、神主はひとり神社の鳥居に帰る。やがて社守と神主、そして村人によって次のように掛け合いがある。

 社守「かかりよった」
 村人「エンヤラヤ」
 神主「ワセ、ナカ、オクテ」
 村人「エンヤラヤ」
 神主「今年の作り物皆よかれ」
 村人「エンヤラヤ」

 このように近江では、正月明けに藁の作り物、とりわけ注連縄を作る行事が各所で行われる。神願様は、注連縄を蛇に見せているが、近江でも藁蛇、あるいは藁竜といったものが山の神祭りに用いられるという(『山の神の像と祭り』大護八郎 昭和59年 国書刊行会 126頁)。「蛇」もそうだが、注連縄、そして12本の御幣のほか紙垂や枝、といった具合に背景には近似する点が多く見られる。

続く

 

参照 道切りの習俗

   湖東「歳苗神社の勧請縄と巨樹」と「岡田町の勧請縄」~滋賀県東近江市~


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