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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

出征兵士への祈祷願い 前編

2023-05-26 23:58:49 | 歴史から学ぶ

 “「おみくじ」のこと”で触れたように、親戚の修験行者だった方の資料を調べに行っているわけだが、半世紀以上前のままになっているという印象を覚えたのは、祭壇手前にあった机の引き出しを開いたところ、戦前の手紙がごく当たり前に入っていて、その後の時代のものが一つも入っていなかったことによって受けたもの。ようはその空間に限れば、戦前で止まっているような状況なのだ。

 そんな引き出しの中に納められていた手紙に祈祷を願うものがいくつもあった。次のようなものである。

謹而御依願申上候
時局は盈々進展國家百年の大計を成すに當り陛下の御召しに欲し聖戦参加の光栄を負い出郷去る二十三日松本隊より暴支膺懲の為め勇躍征途に上りし左記の者武運長久の祈願を御高院様の御力にて御高配賜り度く偏に本懇願し候
 長野県下伊那郡市田村
 陸軍歩兵上等兵 □□□ 二十八才
             願人 長野県下伊那郡神稲村□□□□
                          □□□□

というもの。実は何と書いてあるか読解できないところもあって、いくつかの字は違っているかもしれない。祈祷してもらう人と、依頼人の住所も姓も異なり、両者がどのような関係かははっきりしない。封書の裏書に昭和12年9月28日とあり、市那事変への徴兵とわかる。文中にある「暴支膺懲」をWikipediaに見ると、「支那事変中、日本の陸軍省などが中華民国・蔣介石政権に一撃を加えることで排日抗日運動に歯止めをかけようという意味で使用した合言葉」だという。

 次のような依頼文もあった。

拝啓 朝夕の冷気身に沁む候と相成りました
御寺益々御清栄の段賀し奉ります。
□□此度の事変に應召致しました。本年に二十三才になる□□□□の御祈祷をお願い致し度く存じます。
当人は河野郵便局長の職に在り、逓信事業の重大性に鑑み、戦地出征はまぬがれたく、此の□合わせて御祈祷御依頼申し上げます。
尚寫眞及び御祈祷料として金伍拾銭を小為替にて、お送り致しますからよろしく御査収下さいます様お願ひ致します
先づは御依頼まで
十一月十六日  下伊那郡河野村
            □□□□母
            □□□□

これもまた昭和12年の消印がある。願い人は当人の母に当る。河野村といえば満蒙開拓の歴史でよく知られる「河野村」である。実はこの河野村から届いたものがいくつも見られる。

続く


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