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十王における安山岩という選択 後編

2023-05-25 23:46:00 | 民俗学

十王における安山岩という選択 中編より

 

岡田正彦「鼎町切石 専修庵の十王信仰」に掲載一覧をHP管理者が編集して掲載

(表中の「延享元年(前)」は、それ以前という意味)

 

 前編で触れた通り、石仏の材質と関連付けた論文というものはほとんどなかったのだろう。あまたの石造文化財の報告書が発行されているが、そこに材質をひとつひとつ記したものは見たことはない。したがって統計的にそれを証明するには、それこそひとつひとつ材質を調べて歩かなければならない。途方もない仕事になる。とはいえ、それを特別視しなければならない題材は、それほど多くはない。したがって「なぜ」と思われるような物件に限って、調べていくしかないのだろう。

 十王の石質について触れた報告がある。岡田正彦氏が『伊那』(伊那史学会)に掲載したもので、2014年1月号に掲載された「南信州の十王信仰と十王堂(上)」が最初で、以降この題名で2020年11月号まで8編寄稿されている。さらに2021年12月号へ「鼎町切石 専修庵の十王信仰」を寄稿し、その中で下伊那の十王像について一覧にしてまとめている。一覧表には木造か石造かという欄が設けられているが、前段の報告の中では石造の材質に言及している。岡田氏が「鼎町切石 専修庵の十王信仰」へ掲載した一覧表に材質の蘭を加えてみたものがここに掲載した一覧である。岡田氏によると、十王の場合1か所に10基以上の石仏が安置されているのがふつうで、必ずしも全て同じ材質とは限らない例も見受けられる。例えば「外編」で紹介した羽広仲仙寺の十王堂は、正面に大きな閻魔様が木造で安置され、そのほかのものは石造であった。このような例は時おり見受けられ、全てが同じ材質である例が圧倒的に多いが、必ずしも事例全てではないことを前置きしておく。

 さて、「南信州」とあるがこれは「下伊那」のことである。下伊那郡内のほぼ全ての十王像を一覧にしたもので、総数は56箇所を数える。このうち松川町古町のものは二か所にあったものをまとめたようで、材質も2種類のものが存在する。したがって岡田氏の報告からそれらを材質によって2分割して一覧には表示した。木造の方が多いが、石造も44パーセントにのぼり、おおよそ木造と石造は半々といったところである。そして石造のうち安山岩の割合は64パーセントにものぼる。岡田氏は報告の中で、安山岩のものの方が古いと述べている。一覧に記載されている年代をみても安山岩のものは1600年代のものが多い。そして安山岩質のものは阿南町や天竜村にも確認され、特定の地域に特徴的に見られるわけではない。ということは、「十王=安山岩」という基本線が見えてこないだろうか。わたしの印象を確実にデータとして表していただいたのが岡田氏の報告なのである。印象に過ぎないが、この確率は上伊那でもそれほど変わらないと考えている。今後十王の材質について、判明したところからここに報告していきたいと思う。上伊那にくらべると、下伊那はより安山岩と無縁だと思う。近在にそれらしい地質がないはずだ。それでも安山岩の十王が求められた。あきらかに十王にしかない材質へのこだわりがみられる。


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