Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

旧東部町祢津東町の自然石道祖神 前編

2024-08-21 23:14:31 | 民俗学

旧東部町祢津東町「東部開発株式会社」東側の道祖神

 

 旧東部町(現東御市)祢津西宮の自然石道祖神について触れてきたが、東町にもいくつか同じような道祖神が現存する。この西宮と東町は家々が続いていて、どこが境なのかはよくわからない。印象としては西宮なのか、と思った西宮公民館から東へ200メートルほど行ったところにある「東部開発株式会社」の社屋東側の三辻に双体道祖神1基と自然石道祖神3基が並んでいる。双体道祖神は祝言像であり、向かって右側が男神、左が女神だとはっきりわかる。このあたりは自然石道祖神ばかりではなく、こうした双体道祖神も少なくない。しかし、比較的摩耗しているものが多く、これらは石質に関係するのかもしれないが、信仰が篤いが故の摩耗かもしれない。この双体道祖神を囲むように自然石が三つ並んでいて、双体道祖神よりいずれの石もやや大きい感じ。厚みは明らかに自然石の方があるから、容量は明らかに双体道祖神を上回る。ようは重いと思われる。岡村知彦氏の言ういわゆる「焼石」に当るのだろう、いずれも火山弾のよう。岡村氏の著した『東信濃の道祖神』によると、「人形型自然石」1基、「双体道祖神」1基、一つに記載がないが「焼石」が2基と思わ、計4基が並ぶ。西宮の④で触れた公民館北の自然石のように、小さな石が集積されているという状況ではなく、明らかに個体が勘定できるケースで、これなら道祖神、ようは祭祀対象であるということがはっきりする。さらにはそれら自然石道祖神にも台石がちゃんとあるからなおさらのこと。

 双体道祖神には造立年があり、「弘化三丙午年十二月吉日 丸山氏」とある。ようは寄進者名があることから個人の造立ということになるのだろうか。

続く


コメント    この記事についてブログを書く
« 草刈の葛藤 | トップ | 旧東部町祢津東町の自然石道... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

民俗学」カテゴリの最新記事