Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

友人の旅立ち

2007-02-28 08:06:24 | ひとから学ぶ
 小学校分校時代の同級生が亡くなったと連絡があった。その後高学年、中学、高校としだいに教育空間だけで捉えればしだいに離れて行ったが、会社で遠方の勤務が多くなるまでは、もっとも付き合いが長く、深い友だちだった。もっと近くに暮らし、もっと近くで働いていたら、もしかしたら親友と呼べるほどの付き合いがそこには続いたのかもしれないが、空間が離れるほどに、なかなか会うこともなくなり、仕事に追われるようになるとともに、付き合いはなくなっていった。それでも厄年という節目には、ムラの祭りに参加し行動をともにし、かつてを思い出したものだ。

 もしかしたら、そんな彼が遠のいたことによって、わたしには親友と呼べる人がいなかったのかもしれない。そう思えるのも彼が遠のいていったという事実によって、わたしの中では「友人とはいえ、空間をおけば遠くなるし、歳を重ねれば遠くなる」ということを教えてもらった。人は1人では生きていけないが、自分へ回帰すれば、やはり1人なんだということを認識する。人に頼ることはできないし、またそれを期待することもないだろう。

 家庭の事情もあったから、昔から彼は独特な生き方をしてきた。その彼の顔を見ることができないのは、わたしの中では大きな空白となる。裏を返せば、自らもいつ死んでも不思議ではない歳を重ねたことになる。彼は身内だけで密かに埋葬されたという。わたしも、ふだんから妻と、葬儀は身内だけで・・・と話している。死者はこの世にいないのだから、わざわざ死者の知らないところで葬儀なんかしてほしくないと思っている。そんな思いがあるから、真剣に遺言のことも考えなくてはならないが、そんな余裕すらない。きっと余裕ができた途端に、黄泉の世界へ消えるのかもしれない。そんなものなのかもしれない。

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