Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「いなかの生活」は学ばれたのか

2010-06-07 12:29:08 | 農村環境
 ここに戦後間もない昭和24年の中学校1年の社会科学習のために発行された教科書がある。そのタイトルは「日本のいなかの生活」というもの。そのまえがきにはこんなことが書かれている。「われわれが生活して行くためには、まず、何よりも衣食住の要求がみたされなければならない。ところで衣食住のためのいろいろな工業製品は、都市の工場でつくられるものが大部分であるが、その原材料は、ほとんどすべて、いなかから供給される。特に食料品は、植物性ののであれ、動物性のものであれ、その原料はいなかに働く人々の手によって生産され、収穫されるのである」と「いなか」の役割を示し、「いなかの生産生活は(中略)われわれの生活上の根本的な要求をみたすために営まれている」と言うのである。そして都市で営まれる商工業の発展に伴い、わたしたちが日常必要としている衣食住の生産という部分が忘れられがちであるが、それらは「いなか」で生産されているということを理解しなくてはならないというわけだ。ところがそのいなかは近代化によって流通が進むと、いわゆる自給的な生活から都市で作られたものを購入しながら生活を成り立たせるようになり、その変化がさまざまな問題を引き起こす。そして「わが国の社会が全体として健全に発達して行き、国民生活が向上して行くためには、いなかと都市との関係がほんとうにうまく行かなければならない」と指摘しているのである。そのために都市の子どもたちはいなかの人々の生活を理解し、いなかの子どもたちは自らの生活をふりかえって新たないなかの社会を築くために学ばなくてはならないと、この教科書が作られたというわけなのだろう。

 戦後間もないころの世情がどのような位置にあったのか、やはりその場を体験していない者にはなかなか解りづらいもの。地方重視の声が当たり前のように聞こえながらも、現実的には高齢化によって次世代の不安を拭えない現在の地方は、この教科書が作られた時代に育った人々によって描かれてきたことはいうまでもない。すでに世の一線を退いた人々がほとんどなのだろうが、いわゆる地方の過疎を招く最前線の国民であったに違いない。現在の子どもたちに何が教えられているのか知らないが、ここに書かれた「いなか」に当時の地方の動きとともに、「いなか」という空間から何を読み取らなければいけないのかという意図がよく見えている。郷土研究にもつながるものなのだろうが、地方ではこの後郷土研究が盛んになっていく。教科書が意図するものが地方にあっては自己内省的なものとすれば、まさに地方は意図通り自らを学ぶ手かがりになったのであろうが、ではなぜこの国の地方はここまで疲弊してしまったのか、という問いをすると、結局教科書の意図通りにはいかなかったという結論に至るわけだ。そもそも衣食住の源を生産する「いなか」という表現は、現在の日本を見ると似合わない。この教科書で位置づけた生産の場は、明らかに国外に移された。教えられようとした意図通りにいかなかった最も典型的な事象と言えるだろう。いや、そもそも状況が変わってしまったということなのだろうが、生産生活の状況はともかくとして、その後「いなか」というものが国民の間にどう認識されてきたのかという根本的な部分に絡むだろう。戦後から急激に変わりつつあった日本は、こうした地方と都市の関係を補うことができないまま、今を迎えたといってよい。

続く

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