Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

今年の桜を思う

2018-04-04 23:34:16 | つぶやき

 

 いつからかはっきり覚えていないが、近年は毎年のように「南信州飯田」観光ガイドというものが南信州新聞で発行され、Take Freeで配布されている。「春夏」版というものしか見たことはないが、「秋冬」版というものがあるかどうかは知らない。64ページというもので、観光ガイドとしてはしっかりとしたもの。とりわけ「春夏」を対象にしているが、毎年「桜」を中心に扱っているから、けっこうこの時期人気の観光ガイドである。今年版の表紙は飯田市座光寺の石塚第1号古墳上に咲く桜である。この桜については、2年前に「続・2016 迎桜」で触れた。3月31日に撮影したものだったが、そう考えると今年がとても「早い」というわけではないが、それでも早いことに違いはない。

 「今年の桜が早かった」は飯田でも同じで、全国的なものではあるが、とりわけ県内の北上速度という視点で言えば、これほど「早い」ことはなかったのてはないだろうか。昨日はまだちらほらだった、という桜が、今日は満開近く咲いている、という光景を日々捉えている。満開は良いが、伊那あたりで満開を迎えたころから天気は良いが、パッとしない感じだ。その理由は霞がかっていて、青空がすっきり見えないし、世間もボヤーっとしている。花見ごろではあるが、ベストな状況ではない。とりわけ写真目的の人たちには、今年の桜はいまひとつかもしれない。

 前掲ガイドには71箇所の桜が紹介されている。そのうちには、よその桜と比較してもそれほどインパクトのないものも多いが、古木の一本桜という視点で捉えると、確かにこの地方には見るべきものが多い。たとえば同じ伊那谷でも、上伊那エリアの桜には「古木」と言われるものは少ないし、感嘆符が浮かぶような桜は数えるほどかもしれない。周辺の景観との関係、ようは思い込みだけなのかもしれないが、車窓から「これは」と思うようなことは少ないことも事実だ。

 一瞬に咲いた桜の命が短いことは、毎年桜の季節を迎える度に思うが、今年ほど花期の短さを覚えさせられる年はないかもれしれない。飯田下伊那での入学式は、葉桜の中で行われたところも少なくないだろう。

 空間の広い世界では、一本桜では目を奪わないのかもしれない。伊那でも六道堤の桜(以前「六道堤の桜」で触れた)が満開となった。昨日はそれほどでなかったのに、今日はすっかり花が開いたが、前述したように世間は霞がかっている。とはいえ、間もなく日没という時間でも、惹かれる桜のひとつだ。桜見物をする人の姿もほとんどいない、今年の開花状況である。


コメント    この記事についてブログを書く
« 石仏に彩色するということ[33] | トップ | 繭玉か、陽石か »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つぶやき」カテゴリの最新記事