Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

年末年始休業

2022-12-29 23:45:06 | つぶやき

 それほど前のことではない、つい先日考えていて「こんなことをやっていたんだ」と知って「調べたい」と思っていたことが、どこで聞いたことだったか思い出せない。こんなことがけっこう頻繁だ。「痴ほうなのか」と心配してしまうが、年老いた証拠と言えば、そうなのかもしれない。が、せっかく考えていたことが「飛んでしまう」ことで、苛立ちやら、情けなさやら、そうした心意的な落ち込みに繋がる。それを解消するためにも「メモ」なのだろうが、きっとそのうちに「メモしたこと」も忘れてしまう、あるいはどこにメモしたかを思い出せなくなるのかもしれない。残念な現状であるが、とはいえ、では昔の自分はどうだったかと思い出せば、メモもしなければ、思ったことを「記憶にとどめておこう」とも思わなかった。忘れてもさほど「大きなことではない」と捉えていたのかもしれないが、繰り返すがこの心持ちが、蓄積の薄さを露呈している。昔から今ほど思ったことを「残そう」と思っていたら、たくさんの記録が残っただろう。そういう意味では、記憶のどこかに残っていさえすれば、すぐに検索できるこの日記を始めたことは「大きい」。とりあえず2005年の夏から、おおよその記録は残されている。もちろん何を記したかの記憶は、これほど長いとほとんど「無い」に等しいが…。

 とりあえず行き当たりばったりの性格だから、考えている処理量がこなせないといけないと考えて、当面の「やらなくてはいけないこと」を細かいところまで書き上げてみた。それをこの年末年始の休みに当てはめてみたら、とても濃密な年末年始になった。こんな年の瀬は初めて、いや昔もあったのかもしれないが、あえてメモ帳の予定に書き入れたことがなかっただけかもしれない。以前は年末と言えば、掃除をして、綺麗になって新年を迎えるという「意識」があったが、今やそんな考えは少しも浮かばない。とりあえず仕事始めまでに「これだけはしておかなければ」という思いに追われた。変わりがしないが、思いだけでは達成できないと思い、日々処理するべく事項を予定に書き入れたというわけだ。

 残念ながら、コロナの波は消えることなく、「子供会主催のホンヤリは中止になりました」というローカル放送が遠くに聞こえた。相も変わらず自粛の流れは止まず、いっぽうでふだんに近い生活は戻っている。ちぐはぐな日々は、いまもって継続中であるが、とりわけ足元の地域の交流は激減したままだ。これがけっこうわたし的には応える。毎月の日課となっている原稿ネタに困るのだ。もう3年、あと何年?、などと予想もつかぬ中で模索する時間の無駄さに、ひとり言を吐いているばかり。


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