Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

令和4年を振り返り

2022-12-28 23:50:14 | つぶやき

 今年は10月まで欠かさず毎日日記を綴ってきたのに、11月に入ってから空白日が続くようになった。後日「埋め合わせ」も効かなくなり、諦めてしまっているが、書き込む予定で書き込んでいないものもあるので、思い出せれば年越しでも「埋め合わせ」を「したい」とは思っているが、果たして……。

 ということで、少し今年を振り返ってみよう。

 コロナ禍であることに変わりない。気管支系に弱点のあるわたしには、マスク生活は応える。できればマスクのない世界に戻ってほしいが、とりわけもともとマスクを掛ける傾向のあった日本では、容易にはノーマスク環境に戻らないのは確実だ。コロナ渦中にマスク不足になった社会背景は、そう考えるととても滑稽だった。いまだわたしの身近では、地域行事の自粛は変わっていない。おそらくこのまま多くの行事が消滅しかねない雰囲気さえ漂う。たまたまサラリーマンは会社に通い、会社のために交流を持たざるを得ないが、そうでもなければ人との交流は容易ではなくなった。社会を退いた人たちには、きっとつらい時代に違いないし、それを当たり前と思うようになった時、わたしたちは多くの事象を失うのかもしれない。

 こうした状況下では、止まったままの課題が続出している。処理しようと思っても世間が動かなければ「何もできない」ということも多い。安曇野市誌編さんに関わるようになってすでに2年を経た。しかし、会議は重ねられたが、調査はいまだ皆無に近い。それでいて「原稿提出」と迫られるのだから、話にならない。最近伊那市誌にもかかわるようになった。あくまでも「側面支援」と当初言われたわたしの立場からすれば、気に留めることもないだろうが、「これで本当にできるのか」と思うことが多く、とりあえず自分に課せられたことだけ処理するしかないのが現実だ。先ごろも記したが、この手の「仕事」(会社の人たちには「趣味」と言われるが、「仕事」である)は会議出席の手当はいただけるが、自宅で検討する手間暇に手当てはない。そこに時間を掛けるだけボランティアが増幅していくというわけで、明らかに趣味ではない。捉え方であって、そうした「経験」から得るものをもって「得」と思うしかない。

 コロナ禍にあって御柱年であった。地元の御柱は一般人の参加はもちろん、見学も自粛された。いっぽう他地域の御柱では、ある程度例年に近い形で実施されたものも多い。コロナ禍の捉え方も、平常化する過程で地域差を生んできたと言える。その意識の背景には何があるのか、その理由にも民俗があるのかもしれない。行動制限のない正月を3年ぶりに迎えるなかで、来年がどのようになるのか、平穏であってほしいのは言うまでもない。


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