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ある「常会」の記録より⑩

2019-05-28 23:40:51 | 地域から学ぶ

ある「常会」の記録より⑨より

 

 昭和52年の記録も、かなり詳細に記されている。

 興味深いものだ拾ってみよう。このころ常会内から区長が選出されていた。たびたび慰労会の締めに区長が登場する。そうしたなか、盆野球の慰労会が8月15日に実施され、成績がいまひとつだったせいか、慰労会の記録の後に「付記」というものがある。そこにはこう記されている。

恒例の常会対抗野球に於いて選手出場資格等に就いては、あらかじめ主催者側、及び主将会にて基本線を出して全体のゲームに適用し、チーム同志にて姑息な決め等をしていくことは全くまずいことであり、主催者側の権威をなくし、盆野球の趣旨に反することと思う。

この文面からだけでは推察できないが、選手として出場した者が、そもそも「常会対抗」の趣旨に整合していないのではないか、というような事例があったことと推察する。

 この年の記録には、「慰労会」という単語が頻繁に登場する。9月9日の常会記録には「初めての例ではあるが」と前置きをし、婦人バレーに対して「常会対抗の盆野球と同じ性格のため、五千円を会計より出費」とあり、常会長の判断で行ったことの事後報告があり、承諾を得ている。この年から婦人バレーが始まったわげはないと想像するが、「婦人バレー」の記録が、ここで初めて登場する。常会活動そのものが男性中心であったことから、女性が常会の中でどのような活動をしていたかが、これまでの記録には登場しないため、よくわからないわけだ。もちろんこのように書き込みが見られるようになったとしても、今もって男性中心であることは変わりないようではあるが…。

 男性中心であることは、この年の後の記録からもうかがえる。盆野球とは別に常会対抗ソフトボール大会なるものが、この年行われた。これまでの記録と、同大会についての記録から察するに、これまではなかった催しのようだ。選手選考について、「三十五歳より四十歳まで四人、四十歳以上六人とする」と記されている。そしてこの日の常会で選手選考がされており、もちろん男性のみであることは言うまでもない。

 さて、この昭和52年の記録には「農村基盤整備事業」が見えるようになる。農水省の補助事業で農村の総合整備事業にあたる。メニューは多様にあり、説明では、ほ場整備3地区、ため池2地区のほか集落道や防護柵、そして農業近代化施設などの整備を計画している旨説明されている。

 年末常会の記録に「味噌釜借用料100円に改訂」とある。初めて出てきたので詳細は不明ながら、常会で味噌釜を共有していたということだろうか。そしてこの当時はまだ味噌を自家で作っていたことがわかる。

続く


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