Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

人手不足

2022-12-26 23:39:23 | つぶやき

 会社の来年度に向けて課題を話し合う飲み会があった。たまたま飲み会ではあるが、打合せ会と言った方が正しいだろうか。

 聞くところによれば、今年度末で辞める若者はもちろん、中堅やベテランもいるという。近年若者が数年で退職に至る例が多い。「耐える」というのは若者には苦痛なのだろう、「昔はこうだった」などという事例を口にする時代ではない。口にしただけで若者にとっては「押しつけ」になるのだろう。当たり前だが、一人前に働かないと一人前と認められない。私的には「昔ほどではない」と思うものの、今もって業務量の多さに疑問視する声が多い。それでいて業務量に照らし合わせて人員を配置する(これも当たり前だろうが)から、一人前でない人員を配置される出先は、文句が多い。そこで登場するのがこれまでの人員配置に対する計算式への修正議論だ。とりわけ若者を入社1年から一人前に勘定することへの修正論だ。

 冷静さに欠ける、わたしにはそう思う。そもそも中間層の薄いわが社は、彼らが若かった時代に首切りをして人員削減を図った。採算が取れないと予測されたから当たり前のことだったが、そのせいで中間層は多々悩んだだろう。中間層に限らない、高齢層も同じだ。しかし、居残った社員は苦労したが、仕事を背負う経験はした。大きくない会社だから、一人ひとりがそれなりに悩んだ末にたどりついた考え方があって当然だ。したがって、あれから20年近くを経て、経験値は業務上でも大きく役立っているはず。ようは昔にくらべたら、環境を十二分に利用すれば、現在「一人前」として捉えている業務は、容易に処理できるはず。それでもできない背景には、新たな課題があるはず。ようは若者が一人前の仕事ができなかったのは、昔も同じである。経験することによって業務の処理能力が上がるわけで、個人差はあっても、いずれ一人前になる時がある。それを数値化するとなれば、結果的に「押しつけ」感は増幅する。

 いまだ年功序列の給与体系であることに変わりない。にもかかわらず若者は一人前に仕事ができないから、と数値化するのであれば、給与も出来高払いにしなければ、整合しない。そして若者が努力しなくなる。あくまでも将来を見据えた育成が年功序列の背景にはある。

 さて、若者だけならいざ知らず、薄い中堅層などそうした経験値を持った人材にも退職者が少なからずみられる今、若者への視線だけではなく、働きやすい環境づくりが急がれる。しかし、なにより人員確保できない今、世間同様に「できない」というお客さんへの回答も致し方ないのかもしれない。もはや社会構造問題である。


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