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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

過去の別の日記を振り返って⑫

2022-07-07 23:11:31 | つぶやき

過去の別の日記を振り返って⑪より

 7年前の7月上旬、下記のような日記を別ブログに書き込んだ。タイトルは「嘘をつく」である。

 すっかりこのPCも利用しなくなった。半月ぶりくらいだろうか。電車にあまり乗らなくなったこと、そして乗ったとしても乗っている時間が短くてPCを取り出して書き込むほどの余裕がなくなったこと、そんなことが影響している。したがってこの日記もすっかり書き込みが少なくなったというわけだ。こんな程度の文さえ書けなくなると、おそらく今どきのスマホで書き込むなんていうことも簡単ではないだろう(いまだガラケーだから無縁ではあるが)。ようは所持していても「使わない」というわけだ。

 最近会社のビル警備のおじさんとよく話をする。役所の警備をしているのだが、けっこう役人の悪口なんかを話してくれる。何といっても民間の人が警備でお役所にかかわっているから、裏の世界が少しばかり見えるのだろう。先日も時間的余裕の話になってこんな具合だ。「毎日定時になれば帰れるんだから」と始まる。「でもお役所の人がいつまでも残業しているのも良くないですよ」とわたしはお役人のサポートをする始末。世の中は単純な見方と、裏側の見方、そして政策側からの見方とさまざまだが、「そこまで言って委員会」風に言えば、すべてが「国策」ということになる。したがって表面的な個人意見を言ったら集中攻撃というわけだ。でも個人とすれば、自分を大事にしたいのは当然。結果的には口にしている建て前と、こころの中が異なる人間にならなくてはいけない、ということになる。こんなこと「教え」でできることではない。ようは「嘘を言え」ということになる。でもそれが「おとなの、そして国民の1人としての誠実さ」などと言われても納得できないことは多い。矛盾多き社会、みんな何をこころに納めているのか、自分の思いが通じない、そう思うことがどんなに多いこの世か・・・。

こんな具合だ。電車で1時間要して通勤していた時代には、朝の通勤時に日記を記して、会社の休み時間に公開していた。しかし、その時間がなくなったことで、このような書き込みをするようになったというわけだ。「駅へ歩く、電車に乗る」このふたつの場面において、さまざまな思いをし、考え、そして見ていた世界。もちろん今のように車を運転し、自家用車で通勤している時間も「思うもの」はあるが、そこにはない世界があって、有意義なものだったと思い起す。やはり日常がパターン化し、他人と接しなくなると、思考回路も固まってしまうもの。そういう意味では、他人との距離が近い空間に身を置く、ということも必要なんだろうが、なにより、このところの感染症にうろたえる状況では、縁遠くなる世界。

 さて、もうひとつビルの警備のおじさんとの会話を記している。お役所の皆さんは「余計」なことは口にしない。今はより一層その傾向が強くなった。思ったことをすぐに口にしない、という面ではお役所の人たちほど「人間ができた人」はいない。わたしのような短気の人間には「世界が違う」と思わせる。しかし、そうした人々との付き合いが多く、また長いから、自分も十二分に一般の人とくらべれば「お役所的人間」なのかもしれない。この世界を去り、自分を取り戻すことが待ち遠しいわけだ。

続く


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