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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

石仏に彩色するということ[31]

2017-08-12 23:55:24 | 民俗学

石仏に彩色するということ[30]より

 

 

 伊那市長谷(旧長谷村)の黒河内の集落の入口にたくさんの石碑が立っている。その中の一基に目が留まる。「二十二夜塔」と深く刻まれた文字は印象的だ。並んでいるほかの石碑の方が大きくて目立つのだが、何が目立つかといえば、深掘りされた「二十二夜塔」が緑色に塗られている。右隣の「蚕玉大神」にも若干緑色の彩色痕が見られるが、「二十二夜塔」ははっきりと緑色になっていて、ほかの碑に彩色痕があるとすれば、この石碑に対する信仰は継続しているとみてとれる。が、仕事の途中ということもあってなぜ塗られているか聞き取ることはできなかった。『長谷村誌』第1巻(平成5年 長谷村誌刊行委員会)で確認してみるが、とりわけ二十二夜講についての記述はない。村内を歩いていると、二十二夜や二十三夜といった日待ち塔が目立つものの、そうした日待ちに関する碑に関する記述はないし、講に関する項にも日待ちに関する記述はわずかだった。前掲書を見ていても、旧長谷村は上伊那の中でも特徴的習俗が多い。しかしながら現状はどうなのか、と捉えるとはっきりしないところが多い。以前から興味を抱いていた地域ではあるが、いまだよく調べたことはない。

 いずれにしても彩色痕がこれだけ強く残っているということは、そう遡ったものではないだろう。忘れないうちにこのことは調べておきたいと考えている。

続く


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