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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「踊念仏供養塔」

2024-06-15 23:02:57 | 地域から学ぶ

 

 旧武石村に自然石道祖神を求めて訪れた際、武石川左岸の小寺尾において珍しい石碑を見た。見た目「墓石」かと思われる石碑の正面には「踊念仏供養塔」と刻まれている。念仏供養塔の類は多数県内に見るが、頭に「踊」を刻む塔は、わたしの記憶では初めてである。集落内のメイン道路から少し水田内に外れたところに石碑群があり、その中央前面、いわゆるこの空間では中心的存在の碑と捉えられるこの塔については、横に説明板が立てられている。管理されているのは上小寺尾自治会で、由来には次のように記されている。

天明期は気候が不順で凶作がつづいた上、浅間山の大噴火があり、村人達は祖先の伝えてきた踊念仏を上州沼田に譲り渡してしまった崇りと考えた。そこで、天明3年に踊念仏供養塔を建立し、八十八夜の日を祭日とし供養するようになり今日に至っている。

というもの。「踊り念仏を上州沼田に譲り渡し」たというところの意味が今一つだが、踊り念仏の道具を譲り渡した、という意味なのか踊り念仏そのものを譲り渡したのか…。祟りと考えて復活させたというのならわかるが、そうではないよう。とすると復活できない背景のようなものがあったと思われ、例えば道具がなければできない、というのならわかりやすい。

 向かって右側面に「天明三年癸卯八月下旬」と建立年が刻まれている。


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