日曜日の事件があってから、うつ気味である。とてもひとごとではすまされないものが自分の中にある。同じ日本という国に住んでいて、事件のあった東京という街に住んでいて、単なる殺人事件としてやり過ごすということができないでいる。
新聞やメディアでは連日容疑者の生い立ちや家庭環境、凶行に走った背景の推測などが事細かに伝えられるが、そんなことをいくら細かく聞いたところでとても割り切れるものではない。7人もの人命が無差別に突然奪われてしまって、そんな容疑者の心理の分析や論評だけで尊い命が釣り合うはずがないではないか。
ただ、もっと卑近なレベルで事件が起こらずにすまなかったものかと悔やまれてならない。容疑者に彼女がいてやさしい声がかけられていたら事件は起きなかったのではないか、もし勤め先の自動車部品メーカーの景気がよかったら、もし沼津で借りたトラックで東名を走っているときラジオからアンジェラアキの歌が流れてきて容疑者の気が変わっていたら、…殺された7人は今も平穏に毎日を過ごしていたに違いない。
ワシの頭に浮かぶのはこの程度だが、もっとマクロなレベルで、この国がもっと住みよい国であったなら、もしこの国の教育や行政がもっとしっかりしたものであったなら、もし弱者を切り捨ててしまいがちな社会でなかったなら…そんなレベルにいたるまで、国全体で、もっと深くこの事件を掘り下げて考えてゆく必要があるのではないか。そうでなければ亡くなった犠牲者の霊が浮かばれない。