ガルブレイスの「不確実性の時代」が78年に紹介されるや言葉が独り歩きし、大きなブームになりました。その当時の世情と人びとの心情を的確に表したからだろうと思いますし、今でも“Uncertainty”確かなものがない時代は続いていると言えそうです。この年には「落ちこぼれ」や「窓際族」という言葉が流行しています。その後は、学力低下とリストラになりますが、みんながキラキラした目をして頑張ればささやかでも成功できる時代は終わったのです。
この年の5月には成田空港が着工以来12年かかってようやく開港しましたが、承知のような運輸省側の農民の土地に対する執着心を理解しないやり方と過激派の煽動により、今に至るも日本の表玄関としては中途半端なままなわけです。
9月にはカーター大統領がキャンプ・デーヴィッドで、イスラエルのベギン首相、エジプトのサダト大統領を招き、中東和平会議を開催しました。数次の中東戦争で戦った両国がこの後、融和の道を歩み、翌79年には平和条約が結ばれます。
11月の総裁予備選で福田首相を大平幹事長が大差で破り、首相が交代しました。この後も話し合いで決まった内閣も少なくないが、選挙によって党首=総理を決めるやり方が自民党に活力を与えてきたのは事実でしょう。
79年は1月のイランのパハレヴィ王朝が崩壊し、革命政権が樹立されたのが大きな出来事です。これが引き金になって、第2次オイルショックが起こったわけですし、日本の経済に与えた影響は第1次オイルショック以上だとも言われています。また、イラン革命はイスラム教を中心としてイスラム社会が自らのアイデンティティを強く主張するようになり、大きく変わっていく発端になったのです。
同じ1月にダグラス・グラマン疑惑が起こりました。ロッキード事件と同様の事件が日米の会社を変えて再発しました。こちらの方は事件も役者も小ぶりでした。
2月には中国がヴェトナムを“懲罰”すると称して侵攻を開始し、中越戦争が勃発しました。12月にはソ連がアフガニスタン侵攻を始めました。どちらも明らかな侵略戦争で、社会主義を理想と考える人がその“信仰”を大っぴらには言えないようになりました。
3月にはスリー・マイル島原子力発電所での事故が起こり、“チャイナ・シンドローム”という言葉が言われました。日本ではあんな大事故は起こらないと言う人が多かったのですが。……
6月には元号法が公布されています。昭和の終わりが意識され始めていたからなんですが、実際にはあと10年続きました。同じ月に東京サミットが開かれましたが、私はまだ東京にはいなかったので、警備の様子とかは知りません。
社会面的な話題を拾ってみましょう。78年1月には警視庁の警官が制服のまま女子大生を暴行、殺害して大きな衝撃を与えました。12月には「白い巨塔」の名演技や「クイズ・タイムショック」の司会者で有名だった田宮二郎が猟銃で自殺しています。79年1月には大阪の三菱銀行北畠支店に強盗に入った梅川昭美が4人を射殺し、行員や客を人質に立てこもり、2日間悪逆非道の限りを行ったあげく警察に射殺されました。7月の東名日本坂トンネルで玉突き衝突が起こり、173台が炎上し、7人が死亡しています。今でもあのトンネルにはたくさん標識があって、通るときには緊張させられます。
78年の11月には江川投手がいわゆる“空白の一日”を利用して、巨人と契約を結びましたが、セリーグの会長が認めなかったので阪神がドラフトで指名、裏工作のあげく、翌79年2月に小林と交換トレードされる形でやっと巨人に入団しました。私は阪神ファンなのでこの件に関しては公平なコメントができませんね。
78年にはテレビゲーム、カラオケ、ディスコ、ファミリーレストランが流行し、79年7月にはウォークマンが発売されています。現在につながるモノが出揃ってきたという感じがしますし、それはライフスタイルそのものでもあるので、旧来の人に例えばウォークマンのシャカシャカ音が毛嫌いされたりしたのでしょう。後の携帯電話が“うるさい”と感じられたのと同じです。しかし、テープからCD、MDを経てHDDと記録メディアが変わっても音楽を“携帯”するということは非常に大きな文化的意味がありましたし、私自身にとっても音楽の聴き方に決定的な影響を受けています。
79年にはインベーダーゲームが大流行し、これもゲームセンターだけでなく、喫茶店でもキュイン、キュインと鳴り響いていました。私は不器用なのでほとんどやらず、友だちが喫茶店に入るとすぐにゲームに没頭するのをぼんやりながめているだけでした。これはあっという間に廃れて、夏にはメーカーが倒産しています。今では携帯電話の中に侵入していますか。
さて、歌です。78年には「君の瞳は10000ボルト」、「UFO」、「透明人間」で、ピンクレディまだまだ衰えずだったんですね。79年は「魅せられて」「ガンダーラ」、「関白宣言」、「舟歌」、「YOUNG MAN」です。うーん、だんだんどうでもいいやって感じの曲が増えてきましたが、ビッグヒットではあるんでしょう。
マンガは78年は『青少年マンガは無気力、エロ劇画盛ん』なんて書いてあります。ちょうどその頃、かわぐちかいじや柴門ふみがその手の雑誌に描いていて、日活ロマンポルノから多くの映画監督が育ったのと似ていますね。79年は「ドラえもん」、えー?!そんなに新しいのって感じがするくらいですね。あとはいしいひさいちの「がんばれ!!タブチくん!!」です。彼は「プレイガイドジャーナル」、通称プガジャっていう関西の「ぴあ」みたいな雑誌に地底人とか描いていました。この間亡くなった中島らももカマボコ屋のCMでわけわかんないマンガを描いてました。
(↑)「あれ、サザンがぁ~」と思ったのは、わたくしだけでしょうか・・・もうちょっと後のことでしたっけ??
ところで、名前のあがった歌のうち、その人の「持ち歌」、他人がカバーしても(リバイバルさせても)あまり意味ないだろうなあと思うのが「魅せられて」と「舟歌」で、名旋律・名アレンジだったと思います。
「魅せられて」も「舟歌」も濃いですからね別の意味で。