日本の心

激動する時代に日本人はいかに対処したのか振りかえる。

松岡洋右『東亜全局の動揺』第一 序章 一、外交とは何ぞや

2022-11-28 22:34:03 | 英帝国ユダヤ・フリーメイソン

松岡洋右『東亜全局の動揺』
――我が国是と日支露の関係、満蒙の現状―― 

   

    
 犇々(ホン、ひしめく。押し合って騒ぎ立てる)迫りくる極東の危機、ロシアの動き、支那の現状、日本の無為、而して中村大尉事件の最も雄弁に物語れる満蒙事態の深刻なる悪化、此等を目のあたり見て、帝國の前途と東亜全曲の将来につき、日々ただ憂ひを増すのみ、東亜の禍機已に成り、将に發せんとして目睫の間に在り矣。

一党一派の問題ではない、今やわが國民が國を挙げて、真に猛省し、そして一大決意を為すべき秋である。
 わが國民は須く
  一、満蒙は我が國の生命線である。
  二、大和民族の要求は最初限度の生存権である。

 此の二つの主張をしっかりと把握し、而して明治以来の國是である東亜全局の保持に向って敢然邁進しなければならぬ。
茲に拙文を綴って再び江湖に送る。意ありて辞副はず、ただ著者の區々の裏情を憐み、叱正を乞ふ。
   昭和六年九月十五日
          代々木初台の假寓にて 
                     松 岡 洋 右

 第一章 序 論 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
  外交とは何ぞや ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
  國際政局概觀 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14 
 第二章 對露外交・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21
  ソヴェツト・ロシアの一般對外関係・・・・・・・・・・・・21
  日露國交回復の効果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23 
  日本は何を得たか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23 
  ロシアは何を獲たか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26 
 第三章 對支外交・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・45 
  中華民國の現状・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・45
  関税自主權の回収と國内産業の保護・・・・・・・・・・・・47
  アグレマン問題の解消・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・51
  蒋介石、王正廷の放言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・64 
 第四章 滿蒙問題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・71  
  満蒙の展望・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・71
  鐡道交渉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・83 
  鮮農の壓迫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・97 
  中村大尉事件・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・103
  田中内閣の足跡・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・109 
 第五章 結言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・129 
  世界不安の直視・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・129 
  満蒙に對する認識と政策の基根・・・・・・・・・・・・・・・131 
  東亜の危局と國民の覺悟・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・139 
     ーロシアの動きと支那の現状ー 

第一 序章 

一、外交とは何ぞや
 劈頭外交とはなんぞや、と云う事に就いて一言する。外交は常識である。よく世間では、外交と云ふものは何か特別なものであって、普通の人にはどうもよく判らないものである。と云うように想ふて居る人がいる。又外交官らの人の中にも、動もすると、恰も外交は自分達の専売品であるかの如き考へ、さうはつきり意識しなくてとも、何となくさう云う風な気持をして居る人が絶無ではないようである。

 處が私を以て之を見れば、外交と雖も奇術でもなければ軽業でもない。普通人の判らない、真似の出来ないと云ふような、そんな特別なものではない。常識を超越した外交などと云うものは有りえない。個人間の取引なあり実際の出来る人が、國と國との交際、取引若くは掛合であるが外交が出来ぬ訳がない。唯外交は國と國、若しくは國民と國民の関係であるが為めに、個人のそれとは稍稍問題が大きく、時に関係も複雑であると云ふ差がある丈である。

 それから今日の外交は、主として経済問題が其の基調を作すものである。國民の経済政策即ちお互が満足に飯を食べて行く、と云う事を主にその目標として居るのである。昔は國土欲其の他政治的意識が濃厚であったのであるが、それは段々に薄らいで行って、今日の世界の傾向は今申した如く経済問題が主として外交の基調をなすやうになって来たのである。 

 私の見る所を以てすれば、現に日本國民が世界に向かって求めつつある所のものは何であるかと云ふと、日を逐うて人口は著しく増加し、生活は益々困難となり、我國民はほとんど喉首を絞められるやうな気持がして居る。此の状況の下に於て、吾々は我々自分の生活の途を國際的に切り開き、せめて孫位迄の生活を保障し置きたいと云う、即ち動物としての本能的生活欲に基く要求である。

 換言すれば大和民族の生存権の主張である。単に日々起る國際紛争や事件の處理をなすと云ふことが外交の能事ではない。然るに我が國現下の外交を見ると、遺憾乍ら唯其の日其の日の國際的事務を處理して居るに過ぎないと云ふ観があつて、今私の申した、國民の生活即ち経済問題を基調とし、我國民の生きんとする所以の大方針を立て、之を遂行すると云ふやうな跡形はあまり認められないのである。

 今一つ注意を請ふて置きたい事は、今日に於ては二三人の人が秘密に、或る方針を立てて、勝手に國民を引き廻して外交を行ふと云ふ様な事は最早出来ないと云事である。内政に於ても左様であるが、外交に於いても「民は依らしむべし、知らしむべからず」と云ふような行き方は、今の世の中では最早通用しなくなつた。即ち、國民と共に外交を行ふ、換言せば、國民外交を行ふと云ふより外に致し方ないのである。 

 苟くも國民と共に外交に當ると云ふ以上は、国際事情を絶えずよく國民に知らしめなければならぬのであるが、遺憾乍ら我が國では此の点が非常に缼かけて居る。

 第五十九議会の豫算総会に於て、外交上の質問に入らんとして、私は劈頭第一に、幣原外務大臣は國民と共に外交をやらるる考えであるか、否やと云ふ質問をしたところ、幣原外務大臣は之に対して固より左様であると云ふ意味の答弁をされたのである。ところが、外交の実際に入つて段々質問の歩を進めて見ると、口では今申した様な立派な返答をされたけれども、其の実は左様ではないと云う事が明白にされたのである。
 
 それは現に問題になって居る事柄、即ち國民が其の真相なり又方針なりを知らんと熱望して居る所の外交問題につて質問すると、幣原外務大臣は、それは目下交渉中であるとか、又は交渉せんとして居るのであるとか、或いはそれは議会の中では言及しない方が宜しいと思ふとか、云ふ様な口実の下に、殆ど悉く具体的説明を避けられたのである。

 由来我國には秘密官僚外交の傳統があるのである。其の傳統は殆ど無意識的であらうが、今尚ほ多く改められて居いのである。欧米諸国は勿論支那に於てさへも、相當詳細なる外交文書の公表をして居る今日、我が國出は未だその事すらない様な実情である。唯時に極めて簡単な公表がある位の事である。

 最近の例を引いて説明すると、萬寶山事件次で朝鮮事件が發生してから已に二ケ月余りにもなる。此の間に我が政府と支那政府との間に、幾回も交渉が重ねられた。が我が外務省は之に就てたつた一回の公表を行ったのみで、國民はその後、これ丈重大な事件の交渉がどうなつて居るか一向外務省から知らせて貰へないのである。
 交渉の内容どころか、一体已に何回押問答をしたのかすら、支那側から出た情報による以外、知る由もないと云ふ始末である。

 即ち斯かる重大事件に就てすら、國民大衆とは没交渉であり、國民の意向など一切お構ひないのみならず、已に行った交渉の内容すら殆ど國民に知らしめやうともしない。

 幣原男は、或は、國民の意向は新聞雑誌の論調を参酌しているので、國民と没交渉の交渉をしているのではないと強弁セラるるかも知れないが、いくら我が言論界でも、何れも先ず以て交渉事件の実體に関して、正確なる情報を握り且つ交渉の成行をその各段階に於て、正確に知らせずして正平なる批判なり意見なりが吐かれようか。

 勗めて正確なる報道を傳へんとして居るのである。好んで不正確又は誤れる報道を傳へようとするほどの馬鹿な又は悪意の新聞は、米國のハースト系ならばいざ知らず、我國にはない。唯新聞と云ふものは毎日否朝夕時と競争しているのである。従つてよく真否を確かむる道が無いことがあつて、それが為に時に間違った生地の出ることがないでもない。外交についても往々にして誤報がある。が私は之を以て新聞界を罪する勇気はない。それにスピードの仕事である新聞界の事情を諒察し、之に同情して、國民に真実を告げなければならない職責ある外務省が、進んで言論界に、スピードに追い付きつつ、正確なる資料を供給すべきである。

 今日迄我々の得智識は我が國の新聞記事、主として支那側から出た報道によるものである。之がどれまで正確なるものであるか、我々はそれだけでも一日も速やかに確かめたいのであるが、我が外務省はそれすら國民に一言も教へてくれない。
 自分の國に重大なる関係のある事件に就ての交渉の成行や、内容を
〇(一文字印字不鮮明)に」相手國政府の漏らした所に、(而もそれは彼に都合の良い様に調色した所もあり、不正確の所もにあらう)よってのみ知り得ると云ふが如きは、今日の世の中に於て、實に言語同断の沙汰である。

 國民もこれ位自分の政府に無視され、馬鹿にされれば澤山ではないか。しかも之は幣原男だけを責めむる譯には行かない。これ程馬鹿にされても黙っている程の國民である。幣原さんに馬鹿にされる位の価値しかないものと言へよう。現に我が言論界ですら、之に對して何等の抗議も憤慨の聲を掲げていないではないか。
 
 我が言論界の人達は、
自分の國に重大なる交渉のある事件に就いて、相手國政府から情報をを貫はねばならと云ふ事を言論界の権威の上からのみ言っても忍び難い屈辱とは感じないか。支那政府側から情報を貰って、高い電報料を使って、上海、南京からワザワザは東京に電報して居る聯合通信はじめ、その本社を東京に持って居るではないか。
 こんなに迂回して金まで使ふやうな、骨折損なことをしなくと、同じ東京ですぐ鼻先にある霞が関に足を運んで、否、三銭氛張って電話でもよい、日本の外務省の銘を打った、國民が全部的に信用し得る、正確なる材料をロハで貰って報道したらよさそうなものである。真に一擧手一投足の勞のみ。

 これ程物簡単で安上がりの手段が、眼前にあり乍ら、何故、これに依らないのであるか、それとも、我が外務省が之を拒む理由が何かあるのであるか、あれば知りたい。私は本件交渉の如きはその都度、一瞬もに我が國民に知らしむべき必要と理由とのあるることは、首肯出来るか。之を極秘裏に進めなければならないといふ何等の理由をも想像し得ない。

 若し假りに之を厳密にすべき理由があるのなら、何故相手の支那政府漏らすのを止めないのであるか。これは外交續上當然のことであって、それを、ワザワザ幣原男に講釋する必要もあるまい。外交手績上の事は、どうでもよいとして、相手が漏らすのを止め得ないのならば、我が方だけで、いくら厳密にしたからといっても、その目的は達し得ないではないか。

 吾々は自分の國の政府が相手國に向っていふていることすら、之を自分の國の政府から知らして貰ふことが出来ないで、相手政府から教へて貰はねばならといふことは、餘りにも情けない。否馬鹿馬鹿しいではないか。

 國際事情なり、國際事件の真相を國民に知らさずして、國民と共に外交を行ふと云っても、それは到底出来ない相談である。我が政友会は何としても、先づ以て此の陋弊を打破し、我が國の外交を國民に向って公開させねばならない。

それには民間側に於いても、亦外交と云ふものは奇術でも何でもない、常識さえあれば、何人にも解るものであると云ふ頭になって載き度いのである。 
 最後に、外交は直ちに自分達の生活問題に重大緊密なる交渉を有するものである事を知らなければならない。卑近な例を以て明すれば、現に北洋漁業で我が國が退却し不安に陥った場合、漁網を〇(注、一字印字不明)く地方では忽ちにして注文が減ったではないか、又直接に北洋漁業が関係のある漁民と漁業者は大打撃を受け、同様には諸種の商人、労働者等も其の影響を蒙って居るではないか。

 米國で生糸の値段が下がり又日本生糸の需要が減ずれば、忽ち悲惨な状態を我が農村と生糸界に起して来たではないか。或いは生糸の惨落を来したのは経済現象であって、外交ではないと云ふ人があるかも知れぬが、そんな頭で外交をやったり見たりするからいけない。我が國の貿易の大宗であって、我が國民にとっては大きな飯の種である生糸や絹織物の売れ行きがどうであら,構わぬ、いや構わぬと云ふのではないが、それは経済問題であって、外交の関知した事ではないと云ふことであるならば、然らば一體外交とは何を関心事とするのであるか。

 議會の質問戦に於て幣原外相はかかる経済問題は自分(外相)の知った事ではない、外交の機能は海外にける個々日本人の活動の自由と機會均等を確保するにあるのである、と云ふ趣旨の答弁をされたが、中阜の中學の教科書にでも書いてありさうな、そんな抽象的な漠然とし頭で外交をやって居られるから、現在我が國の外交は殆ど國民生活と没交渉であり又國利國權が一向に伸長されない、否日々縮まりつつあるのである。

 幣原男の論法を以てすると、米國大統領フーヴアなんか一體餘計な事をしたと云ふ事。いやあれは外交ではない、経済提議であると云はれるのであるかも知れないが、関係十ニケ國に對する提議、而もをそれが外交でたたき上げたベルサイユ条約、それからドウズ案、(何れも皆外交の成果である)にも交渉を持っところのモラトリアム提議、之が外交でなくて、何が外交であるか。

 これは真に実質――経済的ーーを有する近来の一大外交である。あの素晴らしい波紋を描き、世界到る處に、えらい反響を呼び起こした光景を諸君は何と見らるるか。之こそが我國民生活に些かの関係がないと誰が言ふか。外交舞台に於けるフーヴァのこの一臺詞は直ちに我國の株式界に影響し、船舶界までをも刺激した。それどころか、此の一投石は忽ちにして信州の山奥で蠺(かいこ)を養ふお婆さんの臍繰金にまで響いたのである。

 以上はほんの二三の例であるが、今日の様八日半で世界一周が出来たり、欧米とラジオで話したり、ロンドンやニューヨークの株式の騰落が次の瞬間、日本の株式に響くと云ふ様に、謂はば世界が極端に狭められたのでは、到底日本だけが孤立して生活する譯には行かない。

 苟も孤立出来ぬ以上は、外交は恰も空気の様なものであつて、厭でも應でも毎日之を吸はなければならない。直ち諸君日常の生活と絶えず交渉ある
ものとして、常住坐臥の間、終始之を念としなければならぬ。

 我が國現下の経済國難打開に就いても、國際関係に関する考慮と處置、即ち外交に待たねばらぬ點が多いのである。が幣原外相は唯徒に外交の経済化と云ふ空念佛を唱ふるまでの事であって其の実は殆どない。此のことは第五十九議会に於ける質問應答の跡を検討すれば明かである。



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