日々是好日 とっつあんの雑記帳

とっつあんが徒然なるまま”ほっこりと暖かく誰もがうなずけるちょっとした幸せを感じる”話題を発信していきます。

「大宅壮一顕彰碑」! 生誕地富田に建立

2009年05月31日 17時09分03秒 | 歳時記

昨日の雨も上がり、今日も晴天の大阪です。
ウォーキングは、昨日除幕式の行われた「大宅壮一顕彰碑」と。シティライフ紙で紹介されていた新しくできた「パン屋」を目的に歩いてきました。

昨日5月30日、「マスコミの帝王」大宅壮一顕彰碑が、大阪府高槻市冨田(とんだ)町6丁目の生家近くの府道わきに建立されました。
地元有志による「大宅壮一顕彰碑を建てる会」により、大宅壮一氏直筆の「美しいバラは野茨の根の上に咲く」という言葉が自然石(高さ1.4メートル、幅2.7メートル)の碑に彫りこまれ、生前の活躍を後世に伝えようとするものです。

大宅 壮一(おおや そういち)は、大阪府三島郡富田村(現高槻市)に生まれ、実家の醤油屋を手伝いながら富田尋常小学校に通った。
壮一氏は、当時から雑誌に作文や短歌などを投稿する文学少年だった。
旧制茨木中学(現大阪府立茨木高等学校)4年の時、各地で起こった「米騒動」を目撃し、その演説報告がきっかけでj自主退学。(川端康成が一学年上に在籍していた)。
その後、超難関の「専検(当時存在した旧制中学卒業と同等資格)」に合格し、旧制第三高等学校を経て、東京帝国大学(現東京大学)に進学したが、執筆活動に傾注するあまり中退した。以降は本格的な文筆活動に入り、文学評論や翻訳を手掛けた。
「一億総白痴化」をはじめ「駅弁大学」「口コミ」「恐妻」など時代をとらえた造語を数多く生み出しました。(顕彰碑説明板より)

旧制茨木中学については、米騒動にからみ、放校処分になったとの説もあります。
大宅壮一が、隣町、高槻市富田の出身であることは、つい最近知りました。
そして、川端康成と1年違いで、同じ旧制茨木中学に在学していたとは…。

パン屋さんについては後日、機会があれば、アップします。

明日は「衣替え,衣更え,更衣」です。
気候に合わせて、衣服を夏服に替える日です。
平安時代から始った習慣で、当時は中国の風習にならって4月1日および10月1日に夏服と冬服を着替えると定め、これを「更衣」と言いました。しかし、天皇の着替えの役目を持つ女官の職名も更衣といい、後に天皇の寝所に奉仕する女官で女御に次ぐ者を指すようになったので、民間では更衣とは言わず「衣替え」と言うようになりました。
江戸時代ごろから、衣替えは6月1日と10月1日に行うようになり、明治以降の官庁・企業等もそれに従いました。

また「気象記念日」です。 
東京気象台(現在の気象庁)が1884(明治17)年に制定しました。
1884(明治17)年のこの日に、日本で最初の天気予報が出されました。その予報は全国一般風の向きは定まりなし、天気は変り易し、但し雨天勝ちという非常に曖昧なものでした。
1875(明治8)年、東京・赤坂葵町に、日本初の気象台「東京気象台」が設置され、東京で気象と地震の観測が開始されました。
1887(明治20)年には「中央気象台」と名前を変え、1956(昭和31)年、「気象庁」として運輸省(現在の国土交通省)の外局に昇格しました。

さらに「電波の日」です。
郵政省(現在の総務省)が1950(昭和25)年6月1日、電波三法(電波法・放送法・電波監理委員会設置法)が施行され、電波が一般に開放されたのを記念して、1951(昭和26)年に制定しました。

そして「写真の日」です。
写真の日制定委員会が1951(昭和26)年に制定。 日本写真協会が主催。
1841(天保12)年、この日、御用商人の上野俊之丞が薩摩藩主の島津斉彬を日本で初めて撮影したとされる。
写されたのは薩摩藩主の島津斉彬で、撮影したのは長崎の御用商人・上野俊之丞でした。
「東洋日の出新聞」に掲載された上野俊之丞の息子・彦馬の口述による記事「日本写真の起源」の記述をもとに、この日が日本で初めて写真が撮影された日とされたが、後の研究で、それ以前にも写真撮影が行われていたことがわかっている。

その他に「氷の日」「国際子どもの日(国際児童節)」「麦茶の日」「チューインガムの日」「バッジの日」「チーズの日」「梅の日」「清潔生活の日」「ねじの日」「真珠の日」「NHK国際放送記念日」「人権擁護委員の日」「万国郵便連合再加盟記念日」「国税庁創立記念日」「マリリン・モンローの日」「スーパーマンの日」「TUBEの日」「防災用品点検の日」「総務の日」「アイデアの日」「あずきの日」と沢山あります。

行事は、京都市の貴船神社で「貴船祭 虎杖祭(いたどりまつり)」が行われます。
明治維新以前に旧暦4月1日と11月1日の年2回行われていた御更衣祭に起源し、4月の祭の頃は、付近の山間に虎杖が繁茂し、神職らが摘んでその多少を競い合ったことから、俗に虎杖祭(いたどりまつり)と呼ばれていました。
往古には、この両祭に勅使御差遣の儀があり御神衣を献進されたが、中古より賀茂別雷神社(京都の上賀茂神社)の摂社としての存在を強いられ、祭祀もまた同社神職によって奉仕されてきました。
明治4年太政官達をもってこの宮の社格は官幣中社となり、以後両祭をあわせ新暦6月1日を例祭日として貴船祭と称しおこなわれています。
水をつかさどる祭神を讚えて、参詣者の家内安全と無病息災を祈願する祭です。
貴船神社 京都市左京区鞍馬貴船町180

にほんブログ村 その他生活ブログ 季節・四季へ「にほんブログ村」ランキング参加中です。
    私のブログに興味を持たれた方、「ポチッ」とクリック、応援お願いします。



最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (kiko)
2009-05-31 18:21:38
オッ!行って来られたんですね。

左に見えているのはバラの花ですか?
私が見た時は工事中だったので殺風景でしたが
立派な顕彰碑になりましたね~(^^♪
返信する
Unknown (銭無のとっつあん)
2009-05-31 21:18:15
そうです。バラが咲いている立派な碑が建ちました。
車で通る人も、車を止めて見ておられました。
返信する
Unknown ()
2009-05-31 21:55:32
「口コミ」とか
何気なく使っていましたが
そんな著名人の生家が近くとは。

杏仁豆腐風牛乳羹、涼しげですねえ。
甘さも自分で調整できるし
体にもいいです。
我が家は牛乳を買うとすぐ飲まれて
料理で使うときは、見張っていないとだめなんです。


返信する
Unknown (銭無のとっつあん)
2009-05-31 22:28:31
藍さん

そうなんです。
最初聞いた時は「えぇ」と思いました。
でも、事実なのですね。

牛乳確保して、作ってみてください。
返信する
こんにちは (iina)
2009-06-01 11:51:22
おおや、大宅壮一氏は高槻の冨田のご出身でしたか、とんだことで。
とんだことな筈はなく、大阪と京都に近くて好い立地条件です。
そういえば、大宅壮一の本を読んだ記憶がありません。
これを機会に、トライしてみます。

クイーン・エリザベス2は、超豪華客船なのでそれを上回る船が現れるとは、
とっつあんご指摘のように考えなかったかも知れませんね。
返信する
Unknown (銭無のとっつあん)
2009-06-01 14:36:49
iinaさん

大宅壮一の本と言えば私も読んだことはありません。
辛口の評論の記憶だけです。三女映子さんも同じ道を歩まれています。

高槻、茨木つまり三島地区は、古代から地理的に重要な地域であったようです。
富田の酒造りは、灘、伊丹と並ぶ摂津の三大産地の一つでした。

官僚や行政は、今を掴みきれていないので、未来の予測はできないのでしょう。
100年安心年金なんて10年ももたないかも…。
返信する