日々是好日 とっつあんの雑記帳

とっつあんが徒然なるまま”ほっこりと暖かく誰もがうなずけるちょっとした幸せを感じる”話題を発信していきます。

咲くやこの花館1月の暦(^^♪水が少ない乾燥した土地でも強く育つ「サボテン」

2019年01月24日 17時01分18秒 | 歳時記

寒波到来を感じさせるような寒~い寒い寒中の朝、晴れ 時々 曇り、最高気温10℃(-2)、洗濯指数70残念!厚手のものは乾きにくい、との予報。

雲の合間から差し込む太陽、いつものようにガラス越しでポカポカ陽気を楽しむのですが、外は強力な寒気で、凄く寒~い寒い一日となった北摂。

今日はお腹の鈍痛があり体調がすぐれないし、寒いので、外出は控え、「ベーグル」を作ることに…。

途中昼食をはさみ2時過ぎに終わったとたん、疲れがどっと出てバタンキュウ…、目が覚めたら4時前でした。

今日の1枚の写真は、咲くやこの花館の直径50~60cm以上ありそうな大きな「サボテン」です。

「サボテン」は、乾燥地に生育する植物たちは乾燥に耐えるために独特な形に進化しています。
サボテンは、サボテン科に属する植物の総称です。
サボテン科にはたくさんの種類があるようです。


サボテン(仙人掌)は多肉植物の中のサボテン科の植物。
アメリカ、メキシコ、中米が原産。
乾燥した砂漠や、雨の少ない土地、高山などの他の植物が育ちにくい過酷な環境でも生育できるよう、葉、茎、根に水と栄養分を蓄えています。

サボテン科の植物は、木に着生するリプサリス以外は北~南アメリカに分布します。
マミラリアなど春に開花する種類が多く、トゲのある姿には似合わないような愛らしい花を咲かす種類も沢山あります。

サボテンの英名cactusはギリシア語で「刺だらけの植物」という意味の言葉が由来と言われています。
サボテンの伝説には、アンデス高地に住むインディオの呪術師が、サボテンの刺を使って遠くにいる人を呪ったという話があります。

サボテンの刺は強い感情と結びつけられることがよくあるようです。
サボテン全般の花言葉は燃える心」「偉大」「暖かい心」「枯れない愛」です。

サボテンは水が少ない乾燥した土地でも強く育つことから、「枯れない愛」という花言葉がつきました。
また、サボテンは恐竜が生きていた時代から生き続け、子孫を増やしてきたとされていることから「偉大」という花言葉が生まれました。
「燃える心」は、燃えるような色彩豊かな花を咲かせることに由来しているといわれています。

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明日1月25日(壬戌 みずのえいぬ 先勝)

●「初天神」
 毎月25日は天神の縁日で、一年で最初の縁日は「初天神」と呼ばれます。
 「天神」とは元々は天の神、即ち天変地異を支配する神のことで、雷はその神威とされていました。
 菅原道真が左遷された大宰府で歿した間もなく、京都で雷や天変地異が頻発しました。人々はこれを道真公のたたりであると恐れ、天神と菅原道真が結びつけて考えられるようになりました。
 また、道真公が生前優れた学者であったことから、天神は学問の神様としても祀られるようになりました。
 菅原道真が生まれたのが6月25日、太宰府に左遷されたのが1月25日、亡くなったのが2月25日であったことから、毎月25日が天神の縁日となりました。

●「左遷の日」
 901(延喜元)年、右大臣・菅原道真が醍醐天皇によって九州の大宰府に左遷されました。
 彼の才能を妬む左大臣・藤原時平は、道真を罪に陥れてやろうと策略し「道真は国家の政治を私物化している」と醍醐天皇に何度も讒言しました。これにより、天皇も道真のことを逆臣と思いこむようになり、901年1月20日に菅原道真を太宰権帥(だざいごんのそち)という地方官に左遷、筑紫国に流罪とすることとしました。
 長年住み慣れた自宅の庭に植えられていた梅が咲いているのを見て「東風(こち)吹かば匂ひ送来(おこ)せよ梅の花 主(あるじ)無しとて春な忘れそ」と詠み、この日、都を旅立ちました。その梅は菅原邸から太宰府の庭まで飛んで行ってそこに根づいたという「太宰府の飛梅(とびうめ)」の伝説があります。
 菅原道真は無念の思いを抱きながら、2年後の903(延喜3)年2月25日に亡くなりました。

●「日本最低気温の日」
 1902(明治35)年1月25日、北海道旭川市で、日本の気象観測史上最低気温の公式記録ー41℃を記録しました。
 1978(昭和53)年2月17日に幌加内町母子里の北大演習林でこれより0.2℃低いー41.2℃を記録しましたが、気象庁の公式記録の対象から外れていたため、旭川の記録が公式の日本最低気温となっています。
 ちなみに世界記録は南極のボストーク基地(ソ連)で1983(昭和58)年7月21日に-89.2℃を記録しました。

●「中華まんの日」
 1902(明治35)年のこの日、北海道旭川で日本の観測史上最低の気温-41℃が記録されました。
 そこで、寒い日には特に中華まんがおいしい事から、ホカホカの中華まんを食べて暖まってもらおうということで、この日が記念日に制定されました。
 この日に中華まんを食べると風邪をひかないとか、受験に合格するという話しもあるそうです…。

●「ホットケーキの日」
 日本最低気温の日に因み、寒い日にはホットケーキを食べて暖まってもらおうと制定されました。

●「石ノ森章太郎生誕記念日」
 日本の漫画界に大きな功績を残し、今もなお多くの漫画家、クリエーターに影響を与え続けている漫画家の石ノ森章太郎。その誕生日(1938年1月25日)を記念日として制定したのは株式会社石森プロです。
 石ノ森章太郎は宮城県登米郡中田町の石森(いしのもり)に生まれました。「石ノ森」は、生地に由来するペンネームです。
 石ノ森章太郎は『石ノ森章太郎萬画大全集』で、世界一多くの萬画を描いた萬画家としてギネスブックにも認定されています。

●「お詫びの日」
 1077(承暦元)年、神聖ローマ皇帝が雪の中、3日間城の前に立ち続けローマ教皇に「お詫び」をしました。
 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世はイタリアの支配をめざし、ミラノ大司教等を次々と任命しました。教皇グレゴリウス7世がこれらの叙任をはじめ、教皇を無視した皇帝の行為を激しく非難しましたのに対しハイリンヒは激怒し、直ちに諸侯を集めて教皇の廃位を決定しました。これに対して教皇も、1076年2月に皇帝の廃位と破門を宣言しました。
 破門の知らせを受けた諸侯たちは、次々とハイリンヒに叛旗を翻しました。そこでハイリンヒは、教皇から破門を解いてもらう為に、グレゴリウス7世が滞在している北イタリア・カノッサ城を訪れました。しかし、グレゴリウスはなかなか会おうとせず、カノッサ城外で悔恨の心を示すことを要求しました。ハイリンヒは1月25日から3日間、雪の中、裸足に粗末な修道衣だけの姿で城の前に立ち続け、ようやく教皇の赦免を受けることができました。これを「カノッサの屈辱」といいます。
 しかし、赦免を受けた皇帝は巻き返しを謀り、教皇との対立は再び激化して行きました。この争いは以降約半世紀も続きました。

●「北野天満宮初天神」
 毎月25日は縁日として、終日境内周辺に露店が所狭しと立ち並び、参拝者の人波が絶えません。
 特に1月25日は、初天神と呼ばれ、新春一番の天神さんの日として、京阪神はもとより全国の人々に親しまれ、毎年多数の参拝者で賑わいます。
 露店も例月以上に多く植木・骨董・古着・衣料品などを商う店が新春の縁日の賑わいをみせます。(例年約千数百軒の出店)
 一方、1月未は国公立・私立の大学・高校・中学校等の入試を直前に控え、真剣な受験生・父兄等の参拝も多く、合格祈祷を受けたり、絵馬に願い事を託す真摯な姿に、学神である天満宮への篤い信仰を如実にみることができます。
 北野天満宮 京都市上京区馬喰町 TEL075-461-0005

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