日々是好日 とっつあんの雑記帳

とっつあんが徒然なるまま”ほっこりと暖かく誰もがうなずけるちょっとした幸せを感じる”話題を発信していきます。

紅葉の奈良のみやげ(^^♪名物白玉屋榮壽(しらたまやえいじゅ)の最中「みむろ」

2018年11月17日 15時07分22秒 | 歳時記

6時ではまだ暗い曇り空の晩秋の朝、曇り のち 晴れ、最高気温19℃(0)、洗濯指数50ワイシャツなど化学繊維は乾く、傘指数50折りたたみ傘をお持ち下さい、との予報。

薄日が射す日和ですが、時々雲が覆い日が陰り、気温の上がらない、でもまあまあ過ごしやすい一日となった北摂。

朝食前にゴミ捨てと団地一回り、午前の買い物途中、見ていたチラシが気になってテレビを見に家電量販店に…、単なるフナイの32インチのハードディスク内蔵なのですが、狭い部屋なので小さな画面でも不自由はなかったのですが最近目と耳が衰え、少し大きめの画面が良いかと店員さんと少し話して即決、買ってしまいました。
今日も体調はすぐれないのですが、買い物で5300歩、チョットだけ運動しました。

今日の1枚の写真は、紅葉の奈良からのおみやげ名物白玉屋榮壽(しらたまやえいじゅ)の最中「みむろ」です。

奈良のお土産では外せない「みむろ最中」は、多くの人に人気があります。

桜井(奈良)名物といえば すぐ頭に浮かぶのが「名物 みむろ 最中」。
今も昔も多くの人達に喜ばれています。
名物「みむろ」は弘化年間(1844~1848)に初代 白玉屋榮壽が創めたもので 爾来170余年の間 その製法を 一子相伝七代にわたって承けついでいます。

商品名「みむろ」は大神神社のご神体山、三諸山(みむろ)にちなんだもので夙に畿内の人々に大和上街道の宿場街の銘菓として 餡(あん)の原料になる小豆は一粒一粒厳選した特産の大納言小豆を使用しています。
餡は別々の釜で「こしあん」と「つぶあん」を炊き上げ後で混ぜあわせる「かのこあん」といわれる餡(あん)。
甘さ控えめで小豆の風味を最大限生かした特産大納言小豆の香り高き餡より醸し出される格別の風味。
餡を優しく包む最中皮の香ばしい香りはまさに銘菓。

格別の風味と 夏なお週日にわたり風味を保つ日持ちの良さとを賞味され さらに明治この方の交通通信の発展に伴い 広く全国の方々よりご愛顧を得ています。

又 昭和26年には 昭和天皇 香淳皇后に、昭和28年には 東宮御在位時の天皇陛下に、当地代表の銘菓として 直接御嘉納の栄を賜りその後も当地への行幸啓の折々には御用達に浴しています。

大納言小豆の鹿の子餡が醸し出す格別な風味と、もち米で作ったパリッと芳ばしい皮の味わいが見事に調和した、伝統の美味しさです。

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明日11月18日(甲寅 きのえとら 友引)

●「土木の日」
 土木学会、日本土木工業協会などが建設省(現在の国土交通省)の支援で、1987(昭和62)年に記念日に制定しました。
 1879(明治12)年のこの日、工学会(日本工学会の前身)が設立されました。
 また、日付は、「土木」という文字を分解すると「十一」と「十八」になることからです。

●「もりとふるさとの日」
 国土保全奨励制度全国研究協議会が1994(平成6)年の同協議会の設立日にちなみ制定しました。

●「ミッキーマウスの誕生日」
 1928(昭和3)年、ニューヨークのコロニーシアターでミッキーマウスが登場する短編アニメーション『蒸気船ウィリー』が初めて公開されました。

●「カスピ海ヨーグルトの日」
 2002年から始まったカスピ海ヨーグルトの純正種菌の頒布活動が2006年11月18日、100万人に到達したことと、「いい(11)一杯(18)」の語呂合わせから制定されました。
 手軽に手作り出来て増やせるカスピ海ヨーグルトを食べる習慣を広めて、人々の健康増進を図ることが目的です。
 日本にカスピ海ヨーグルトをもたらしたといわれる家森幸男京都大学名誉教授とカスピ海ヨーグルトを扱うフジッコ株式会社が制定しました。

●「雪見だいふくの日」
 株式会社ロッテが自社の「雪見だいふく」をPRするために制定しました。
 「雪見だいふく」は冷たいアイスをやわらかいおもちで包んだ和菓子感覚の商品で、おもちとアイスの絶妙な食感が人気で1981年の発売以来ロングセラーとなっています。
 日付は11月で「いい」と、パッケージのふたを開けて縦に見たときに18に見えるために18日としたそうです。

●毎月18日は「観音(観世音)菩薩の縁日」「頭髪の日」「米食の日」「北海道清酒の日」です。

●「浅上王子宮秋祭り」
 毎年11月18日に行われる秋祭りでは、県の無形文化財に指定されている棒踊りが奉納されています。
 正徳元年、山内家の一門が山北の地で棒術を始めて以来、郷社浅上王子宮の秋季神祭が11月18日に催され、神霊を慰める奉納の棒踊りとなったものです。現在、山北の青年によって引継がれています。
 浅上王子宮は、社伝によると、応永2年(1395年)にこの地の豪族が、現在の若一王子宮から徳王寺権現(紀州熊野新宮)をこの浅上王子宮に勧請してきたといわれています。
 祭神は天照大神。江戸時代の正徳元年(1711年)には、山内規重の長男で土佐藩の八代藩主となった豊敷が当社を産土神(うぶすなかみ)と定めて熱心に参拝し、自分が参りに行けない時でも代参を派遣していたといわれています。
 浅上王子宮 高知県香南市香我美町山北

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