日々是好日 とっつあんの雑記帳

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国宝「石川年足墓誌」が発見された「荒神塚」

2011年02月06日 17時27分13秒 | 三島地区の文化財

今日の午後は、文化財スタッフの会の臨時総会がありました。
新しい、今城塚古代歴史館の開館に伴い、市との協働事業の受託について、さまざまな問題があり、きょうの会になりましたが、市の要望を受託することで決定しました。

今日の1枚の写真は、先日、見学させていただいた、高槻市唯一の国宝「石川年足の墓誌」が発見された、つまり石川年足が葬られた墓所に建てられた「荒神塚」の碑です。

この「荒神塚」碑は、文政3年(1820)一月、摂津国嶋上郡真上郷光徳村の荒神山の南斜面荒神松の辺り、この場所で墓誌が発見された後、嘉永2年(1849)に、この山の地主であり村の庄屋である田中家によって建てられました。

発見のきっかけは、正月に荒神松あたりの土が崩れた夢を見たため、行ってみると荒神松の下側の土砂が数センチばかり窪んでいたので掘り起こしてみると、木炭で囲われた木箱(檜製櫃)があり、なかに埋葬された人物について記した金銅板製の「墓誌」と人骨が納めてあったと伝えられています。

ここで発見された「石川年足の墓誌」とは、奈良時代に政権の中枢で活躍した中央貴族・石川年足(いしかわのとしたリ、持統2年(688)~天平宝字6年(762))のものです。
長さ29.6cm・幅10.3cm・厚さ0.3cmの銅板の表面に、年足の系譜や官職、没年など6行130字に及ぶ銘文と、細かい唐草模様などが線彫りされ、表裏とも金をメッキしてあるそうです。

銘文の現在語訳は次の通りです。

武内宿禰命(タケノウチスクネノミコト)の子、蘇我石川宿祢命の十世の孫にあたる従三位行左大弁石川石足の長子である御史大夫正三位兼行神祇伯・年足は、平成宮御宇天皇(淳仁天皇)の世、天平宝字六年(762)9月1日に75歳で、平城京の邸宅において亡くなった。12月1日、摂津国嶋上郡白髪郷の酒垂山に墓をつくり葬る。儀形は百代、冠蓋は千年。あたりは荒寂として松柏煙を含む。ああ、哀しいかな。

この墓誌は、奈良時代の書体と彫刻技術、さらに当時の墓制を知る貴重な資料です。
現在は、大阪歴史博物館に寄託されていますが、高槻市に新しい古代歴史館が開館するので、里帰りして、多くの人の目にふれることが出来ればいいのですが…。

石川年足がこの真上の地に葬られたことは、そこが彼の本貫地(出身地)だったことを示していると考えられるそうです。
高槻・茨木つまり三島の地からは、古代国家の成立から奈良時代にかけて国政にかかわった人物が生まれ住みついた重要な場所また住みよい場所でもあったのでしょう。

荒神松の辺りには年足神社も建立されました。
竹藪の中の小さな祠ですが、今も垣内の人達によって祀られているそうです。


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 明日2月7日(癸巳みずのとみ 大安)はこんな日です。
「北方領土の日」
 日本政府は、北方領土返還運動を一層推進するために、政府が1981(昭和56)年にこの日を制定しました。
 1854(安政元)年12月21日(新暦1855年2月7日)、日露和親条約が締結され、四島が日本固有の領土として認められました。
 北方領土とは、国後島・択捉島・色丹島・歯舞諸島からなっており、沖縄の2倍強にあたる4996平方キロメートルの面積があります。
 江戸時代から日本は北方領土の開発・経営をしていました。
 「日露通好条約」により、ロシアとの国境が択捉島とウルップ島との間に確定されました。
 その後、1875(明治8)年の「樺太千島交換条約」によって樺太全島を放棄するかわりに千島列島すべてが日本領となり、1905(明治38)年の日露戦争の勝利により「ポーツマス条約」で南樺太が日本領となりました。
 第2次大戦の敗戦により、1951(昭和26年)の「サンフランシスコ平和条約」で、日本が戦争によって奪った土地の権利・権限などは放棄することとなって、千島列島もその中に含まれました。
 しかし、北方領土は戦争によって獲得した土地ではなく、権限を放棄する千島列島には含まれませんが、ソ連は千島列島の一部であるとして北方領土を占領し、その状態が現在まで続いています。

●「長野の日,オリンピックメモリアルデー」
 1998(平成10)年に長野冬季オリンピックの開会式が行われたことを記念して、日本青年会議所北陸信越地区長野ブロック協議会が制定しました。
 「自然との共生」を広く世界に呼び掛けた長野冬季オリンピックの精神を永遠に伝え、自然・環境との関わりを考える日です。

●「福井県ふるさとの日」
 福井県が1982(昭和57)年に制定。
 1881(明治14)年、石川県に属していた越前を放棄を受けて、同じく滋賀県から越前・若狭(嶺南)を分離して福井県が設置されました。
 「ふるさとの日」を記念して、県民一人ひとりの「ふるさと」に関する理解と関心を深め、豊かな郷土を築くことを期するため、ふるさとの日にふさわしい行事を開催されます。

●「ニキビに悩まないデー」
 ニキビに悩むすべての男女の助けになりたいと、ニキビ対策・ニキビ予防のスキンケア製品「プロアクティブ」を商品展開するガシー・レンカー・ジャパン株式会社が制定しました。
 日付は2と7で「ニキビに(2)悩まない(7)」の語呂合わせから。
 

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