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Landscape diary ランスケ・ ダイアリー

ランドスケープ ・ダイアリー。
山の風景、野の風景、街の風景そして心象風景…
視線の先にあるの風景の記憶を綴ります。

春を恨んだりはしない / 池澤夏樹

2012-03-11 | 

 

 この一週間、NHKの3・11特集番組を観続けてきた。

突然あの日、津波によって家族を失った(未だ遺体が出ない)残された人々の癒しようもない日常を追った大槌町の映像。

福島第1原発による立ち入り禁止区域20km圏と境を接する南相馬市で今も暮らし続ける人々の「棄民」を強く意識する言動とその現状。

津波先進モデル地区ながらも、まったく無力だった南三陸町の「高台移転」にかける復興への不屈の努力と挫折の一年。

どれも強く心に響いた。そしてこの一年間は何だったのか?と無力感ばかりが募る。

 

半年前に出版され、ずっと気になっていたが手に取らなかった池澤夏樹の「春を恨んだりはしない」を、やっとアマゾンで購入して読んだ。

この作家はイラク人質事件において日本の論壇がまったく沈黙しているとき、唯一人、国家とマスコミが連携して血祭に上げていた高遠さんたちを

擁護するメッセージを掲げ、国家とメデイアの非道を告発し続けた。この一点において私は、この作家を信頼し続ける。

そして、その自然観、旅する人としての視点、文学的志向にも強く惹かれてきた。

 

さて、この震災を巡る作家の想いを綴った本作に、最初は少し戸惑い物足りなさを覚えた。

123ページの総量としての文章の短さもあっただろう。

(鷲尾和彦のモノクロームの写真が秀逸)

それとは別に作家自身が、この未曽有の災害を前にして逡巡し葛藤しているからかもしれない。

高村薫は「この震災を忘れないために言葉で語り続けなければならない」と言った。

池澤夏樹も第1章、「まえがき、あるいは死者たち」の後段で、こう語る。

「破壊された町の復旧や復興のこと、仮設住宅での暮らし、行政の力の限界、原発から洩れた放射性物質による健康被害や今後の電力政策、

更には日本の将来像まで、論ずべきテーマはたしかに多い。社会は総論にまとめた上で今の問題と先の問題のみを論じようとする。少しでも元気の出る話題を優先する。

しかし背景には死者がいる。そこに何度も立ち返らなければならないと思う。

地震と津波の直後に現地で瓦礫の処理と同時に遺体の捜索に当たった消防隊員、自衛隊員、警察官、医療関係者、肉親を求めて遺体安置所を巡った家族。

たくさんの人々が遺体を見た。彼らは何も言わないが、その光景がこれからゆっくりと日本の社会に染み出してきて、

我々がものを考えることの背景となって、将来のこの国の雰囲気を決めることにならないか。死は祓(はら)えない。祓おうとすべきでない。」

 

福島の原発事故に対する姿勢は明解だ。

それは長年物理学を学んだ徒として「結局、原子力は人の手には負えなかった」と、その失敗の連続である核開発の歴史を語る。

だから人は核兵器を抑止力として封印してきたのではないか?

そして材料工学として原発には根源的な欠陥がある。

液状の金属ナトリウムを長期に亘って安全着実に流す配管は作れない。

それは放射性廃棄物の処理についても同じで、だから六ヶ所村の施設はいつになっても完成しないし、福島の冷却装置は漏れに漏れた。

それを証明するように3/8付の新聞には福島第1原発4号機の使用済み核燃料プールの過熱崩落による首都圏住民まで避難させる最悪の事故が

回避されたのは震災直前の工事による不手際による偶然があって救われたという調査報告が発表された。もうこれは呆れるしかない。

 

さらに日本列島という私たちが暮らす場所を説明する。

弧状に延びた日本列島は気候や植生は変化に富み、モンスーンがまたそれを拡大して季節によって変わる美しい空と陸と海をもたらした。

しかし、それは偶然の産物ではなく、プレートテクトニクスと呼ばれる地殻の複数のプレートの境界線が生み出した大地の構造による。

それゆえに、この地には災害が多かった。

我らの先祖は何度となく噴火と地震と津波によって殺された。生活の場を壊され長い歳月をかけて築いた資産を奪われた。

いきなり何の前触れもなく来てしまうのだから仕方がない。理不尽とか不条理とかの言葉を貼り付けてみたところで何が納得されるわけでもない。

そのたびに人々は呆然として、泣けるだけ泣いて、残った瓦礫を片付け悲しみをこらえ、時間と共に悲しみが少しづつ薄れるのを待って、また立ち上がった。

営々と努力を重ねて奪われた家や田畑を作り直した。忘れることが救いにつながった。災害と復興がこの国の歴史の主軸でなかったか。

だから仏教が教える「無常」という原理はインドや中国でなくこの国においてこそ理解しやすかった。

大地さえ揺れ海さえ陸地に襲いかかる地では、常なるものは何もない。

 

国家やボランティアの有り方を語りながら最終章において希望を託す。

「人々の心の中では変化が起こっている。自分が求めているのはモノではない。新製品でもないし無限の電力でもないらしい、と薄々気づく人たちが増えている。

この大地が必ずしもずっと安定した生活の場ではないと覚れば生きる姿勢も変わる。その変化を自分も混乱の中を走り回りながら見てゆこう」

 

そしてタイトルにもなったヴィスワヴァ・シンボルスカの詩は、こう綴られる。

 

またやって来たからといって

春を恨んだりはしない

例年のように自分の義務を果たしているからといって

春を責めたりはしない

わかっている わたしがいくら悲しくても

そのせいで緑の萌えるのが止まったりはしないと

 

 

春を恨んだりはしない - 震災をめぐって考えたこと
鷲尾 和彦
中央公論新社

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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空虚 (鬼城)
2012-03-14 07:52:05
政府も東電も反省の色がない。震災一年目の日などは記念行事の如く、マスコミの報道が・・・何も見たくない、聞きたくない一日でした。最近つくづく思うことは、実行力という言葉です。悲しみや困難なこと、つらいことを共感できる世の中になってほしいと願うばかりです。
「春を恨んだりはしない」早速、読んでみたいと思います。
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あの日を忘れないために (ランスケ)
2012-03-14 22:53:11
鬼城さん、書き込みありがとうございます。

やっと重苦しくやるせない日々から、抜け出せたような気分です。
未だ父母の死を引きずっているせいか、3月の声を聴くと、
どうしても、あの夥しい悲しみの声に感応してしまいます。

11日の夜9時、NHKで放送された震災の過酷な夜を生き延びた人々の
証言を同時系列で構成する番組も心に響きました。
停車した列車の中で一夜を過ごした乗客たちの、弱者を思いやり手を差し伸べ合いながら
過酷な夜を乗り切った証言の記録。
それとは逆に、津波に襲われ壊滅的な被害を受けた病院で
医療器具のほとんど失い、患者たちが力尽きて倒れてゆくのを
唯、見送るしかなかった医師や看護師たちの無念。
2011年3月11日の長い夜には、こんな無数の生と死の狭間を
生き延びた人々の濃密な時間が流れていたはずです。
そんな一つ一つの声に耳を傾けて行きたいと思っています。
震災の夜に演奏されたマーラーの交響曲第5番も、あの夜だから成し得た奇跡の音楽でした。

あの日のことを決して忘れないために、これからも丹念に情報を拾ってゆくつもりです。

それから昨夜の0時過ぎから早朝5時半くらいまでに私の不謹慎なコメントを
御覧になった皆さん、どうか忘れてください。
あの内容は、どう考えても私の胸の内だけに収めておくべき話でした。
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