IAEA(国際原子力機関)が進める原発のストレステストには1次評価と2次評価があり、
両方をクリアして初めて過酷事故に対する安全性が評価されるという内容だ。
ところがストレステストの2次評価を申請している電力会社は、現在1社もいない。
そして、このストレステストの内容がよく判らかlなかったし、その情報も不足していた。
やっと、ここに来て、その正体が知れた。
なるほど1次評価とは、震災以前の安全性への評価基準であり、
福島第1原発のような過酷事故を想定した安全性は2次評価をクリアして初めて評価されるらしい。
変だと思っていた大飯原発の津波想定が11・8mだったわけだ。
(福島第1原発は14mを超えているのに)
これは完全に詐欺ですよね。
福島第1原発の事故を想定したストレステストの2次評価をクリアしない原発なんて何の意味もない。
この2次評価を、どの電力会社も申請しないということは、現在の日本の原発は、どれも福島クラスの過酷事故には耐えられない
とういうことの暗に証明なのでしょうか?(これは恐過ぎる)
それに、このストレステストの審査をしているところが、事故当時まったく無能だった上に原発安全神話を頑なに主張してきた保安院と原子力安全委員であるのが
ブラックジョークとしか思えない(笑えないよ)
そして菅直人(元首相)から完全に無能扱いされた安全委員の代表である斑目春樹が「ストレステストは1次評価だけでは意味がない」と主張しているところが余計に哀しい。
結局、彼らは経済が滞ることが何より問題なのでしょう。
原発の安全性なんて初めから興味がないのでしょう。
昨夜のNHKのビジネスニュースの女性キャスターは、再稼働しないことによる経済の停滞を眉をしかめて犯罪行為のように糾弾していた。
(民間事故調査委員の中間報告と同じ日に公表されたグリーンピースの事故調査報告の内容が、「経済行為を最優先し安全性を顧みなかったことが事故の最大要因」としていた)
NHKの7時のニュースでは何も触れなかった。辛うじて9時のニュースで短く紹介。
朝日新聞17日付朝刊では一面と社会面で大きく掲載。
私は遅れてきた世代なので「共同幻想論」を高校生の頃に読んだ程度。
むしろ次女の吉本ばななの方が近しい。
ばななのコメント。
「父はいつもひとりではなかったし、家族に愛されていました。最後に話したとき、
三途の川の手前までいったけど、ばななさんがいいタイミングで上からきてくれて、戻れました。
と言ってくれました。もう一度話したかったです。
年寄は同じ話ばかりで情けない。と言うので、そんなことはない。いるだけで嬉しい、と言うと、
そう思えたらいいいんですけどね、と笑いました」
[パリ共同]16日にパリで開幕したフランス最大の書籍展「第2回サロン・ド・リーブル」で同日、文学と災害をテーマにした討論会が行われた。今年の特別招待国に選ばれた日本からは、作家の大江健三郎さん(77)らが参加。
大江さんは東京電力福島第一原発事故に触れ、「一番根本的な倫理は次の世代が生きる条件を壊さないことだ」と訴えた。
大江さんは「原発の将来を論議する人たちが世界中にいるが、すべての論客が原発はやがてなくなると考えている」と指摘。「そのオプティミズム(楽観主義)が不思議でしょうがない。ならば今、原発を止めればいい」と疑問を呈した。さらに人が倫理的であることの重要性を強調。「日本だけではなく、アジアの人々が水と空気によって(放射性物質の)害悪を被っている。日本の政治家が論理的であろうとするなら、そこをよく考えるべきだ」と、原発再稼働に向けた日本政府の動きを批判した。
ドイツ在住の作家多和田葉子さんは「日本の新聞はなぜ危険性をはっきり伝えないのかを何度も聞かれた。日本には言論の自由があると思っていたが、実はそうではなかった」と述べた。
東日本の被災者、亡くなった人々。そして日本人の誇りを取り戻すためにも原発廃止。
エネルギー問題は知恵を出し合えば必ず解決できる、原発に関わる人たちこそが勇気を出して立ち上がるべきだ。
人間は、もともと無一物で生まれ無一物で死んでいく。
私利私欲だけの拝金主義では情けない。
そうですよねランスケさん!
12月の母の一周忌以来、3ヶ月ぶりに父母に会いに行きました。
墓廻りを掃除し手を合わせ静かに語りかけます。
でも何か気持ちが遠いですね。
あの悲しみは何処へ行ってしまったのでしょう?
その分、被災地の未だ癒えぬ悲しみの声に聞き入ってしまいます。
ホッホさん、パリでの大江健三郎のニュース映像は私も観ました。
そうですね。大江健三郎は一貫して核廃絶の立場から原発にも否定的な人です。
「次世代のために」本当に、その通りです。
あんな歴史に残る惨禍を起こしておいて、何もしないで見過ごしてきた最低の大人たち
と子供たちや孫たちから軽蔑されないためにも、私たちは黙っていてはいけないのです。
昨夜放送されたETV特集「生き残った日本人へ。高村薫、復興を問う」を観ました。
なぜ日本人は怒らないのか?
唯々諾々と、あんな酷い目にあっても黙ってそれを受け入れていられるのか?
高村薫も苛立ちを交えて原発を受け入れ続ける日本人の愚かさを嘆いていました。
電気が足りなくたって、どれだけ不便だというのでしょう。
好い加減、消費の奴隷から自由になりましょう。
便利で快適な暮らしを維持し続けることの歪さに気づいてください。